2013.11.09 Saturday

カメラと目と@カイユボット展



ブリヂストン美術館で開催中の「カイユボット展―都市の印象派」(2013.10.10-12.29)は、なんとも魅力的な展示構成だった。
ギュスターヴ・カイユボットを印象派の重要作家として位置づけ、画家によって描かれた移りゆくパリの姿や自然の風景に、同様にそれらの風景・光景をおさめた弟マルシャルの写真、さらに親交のあった印象派画家たちの作品を交えて、都市と郊外と人々の生活が織りなす時代を鮮やかに浮かび上がらせた。

“カイユボットの近くに写真があった”ことが強調されていたように、カイユボットはカメラによって切り取られたものと自分自身の目が捉えたものを照らし合わせ、組み合わせたりしながら、構図を練ったのではないかと思えた。
この兄弟の作品から受ける印象は、経済的な憂いなく、暮らしを人生を楽しんだ、おだやかな生活である。そのおだやかで誠実で親密な視線が街や人々に向けられている、そんな作品たちにたまらなく惹きつけられる。
床にパリの地図を敷いて、カイユボット縁の地点にデジタル・ディスプレイを配置した、パリ部屋とでもいうべき展示室まで据えられ、画家たちの作品、写真、現在のパリの写真によって、私達はパリへと誘われる。


2013.10.20 Sunday

宗達を検証する(5)古活字版・整版本「嵯峨本」の成立と展開

連続講座『宗達を検証する』講師:林進
第五回 古活字版・整版本「嵯峨本」の成立と展開 ―活字書体設計者としての素庵、装飾料紙作家としての宗達ー
10月18日 於:Bunkamura B1特設会場
 
今回のテーマは嵯峨本。角倉素庵書体に焦点を当てるもので、宗達は事実上お休み。これまで特記してこなかったが、この連続講座では、貴重なものを含めて講師が所蔵するさまざまな資料を惜しげもなく手にとって見させてくれるという特典がある。そのおかげで、理解度が増すのだが、一方で、手と目が忙しくなって耳が疎かになるという危険が・・・。
では本題に入りましょう。

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角倉素庵(1571-1632)は本姓吉田。与一という名だが、京角倉の当主の通名として長子が受け継いだため、混乱を避けるため素庵を使用する。
洛西嵯峨において父了以とともに土倉(金融業、屋号「角蔵」)で財をなし、幕府の許可を得て安南国(ベトナム)朱印船貿易で薬種、香木、中国書物を扱ったほか、富士川、高瀬川運河などの河川開鑿を行い、河川の保守、水上輸送の管理を行った。
学者になりたかった素庵は本業をやりながら、空き時間に本をよみ、歌をよみ、書をかき、そして書家として素庵流書を確立した。
こうした素庵のすべてが、千光寺大悲閣にある堀杏庵撰『素庵行状碑文』に書かれている。
 
当時、学者であっても自らの研究書や文章を生きているときに発表することはほとんどなく、死後、家族や弟子がまとめたり発表したりするのが一般的だった。上記の素庵行状にも素庵が数十巻もの研究書を書いていたことが書かれているが、それらは残っていない。業績として残そうというようなことがなかったのだ。
今日のテーマである「嵯峨本」についても、国文学や美術の面からだけでなく、現代でいうフォントの面でも大変重要な業績であるが、当時の常識としてあえてそれを記録したり評価するというようなものではなかった。
「嵯峨本」本体についても素庵がそれを行ったという記録がまったくない。唯一、『羅山林先生集』(1659)所収「羅山先生年譜」に、吉田玄之(角倉素庵)が嵯峨で『史記』を刊行したことが記されている。慶長八年(1603)刊『言経卿記』には公家が嵯峨から『史記』を取り寄せた旨が記されており、その後、宝永七年(1710)刊『弁疑書目録』に初めて「嵯峨本書目」が附載された。

川瀬一馬は『嵯峨本図考』(1932)で嵯峨本を「光悦が自ら版下を書き、其の装コウ(さんずいに広の旧字体)に美術的の意匠を施したもの、並びに光悦の書風・装コウ等を頗る豊富に具備する刻書」と定義づけた。「光悦の書跡」については旧説を踏襲したのみで実証研究することはなかった。
私は嵯峨本を「素庵自らが版下を書いた整版本、素庵書体に倣った活字(素庵書体を熟知した字彫り師)で印刷された活字本。具引地・雲母刷文様料紙を用い、美麗な装訂を施した本。素庵工房で刊行された本。覆刻本は除く。」と定義する。

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まだ序の口で、このあと、豊富な資料をもとに、素庵が写本することで書体を確立することになったこと、嵯峨本の書体等を比較検討することで、さまざまな検証を行っていくのだが、長くなるのでこのあたりで(手抜き御免!)。
講師は、嵯峨本が慶長年間に嵯峨において角倉素庵自ら企画出版した本で、嵯峨本活字は素庵自身がデザイン、印刷工房の字彫り師が活字を製作、木版雲母刷文様の表紙や本文料紙は俵屋宗達工房で製作された、と結論付ける。その結果、前回同様、光悦の書体とされてきたものの多くが実は素庵のものということになり、光悦は茶人、数寄者としてのみ残る。つまり、蒔絵も光悦の業績でなくなる、というほどのインパクトを与えるのだから、おいそれと納得できない人も多いだろう。しかし、光悦のものとされる仕事の多くが素庵の仕事であった可能性を指摘する研究が進められているのだから、これはやはり検証するしかないでしょう。それをやるのはいつか。今でしょ!(古い!)

10月26日から五島美術館で光悦展が開催されるので、ぜひ訪れて、展示されているものの多くが光悦ではなく素庵の手になるものかもしれない、という目で眺めてみたいとは思っている。
 

2013.10.06 Sunday

宗達を検証する(4)鶴下絵三十六歌仙和歌巻

連続講座『宗達を検証する』 講師:林進
第四回 重要文化財「金銀泥鶴下絵三十六歌仙和歌巻」―和歌は誰が揮毫したか、下絵のテーマは何かー
9月28日 於:Bunkamura B1特設会場
 
今回のテーマは、俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》で、和歌を揮毫したのがほんとうに光悦だったのか、という問いである。これまでこれが光悦であることを疑ったものはいないが、講師は自らが「角倉素庵症候群」にかかっていることを認めたうえで、これが角倉素庵の筆になるとの説を展開する。
 
光悦説の決定的証拠とされるのが、和歌本文の後に捺されている「光悦」黒文方印である。しかし、古歌染筆では染筆者が署名捺印しないことが慣習であることから、これが後世に押印されたものと疑う理由となる。
書き間違いが多いこと、左9の源の公忠朝臣「行やらで」の「行く」の送り「く」を書かないことは、素庵の特徴である。
和歌版下が素案自筆となる嵯峨本『尊円本三十六人歌合』と《鶴下絵》の書体を比較すると、似ているといえば似ているし、似ていないといえば似ていないが、共通する書体もある(示された資料をみるかぎり、同一人物だと思わせる書体もあるし、全体の雰囲気も似ていると思う。素庵書体の基準資料となる巻子・冊子をみても、似ていると感じる)。
書法では、素庵が露峰、光悦が蔵峰という対照的な起筆で、《鶴下絵》は露峰である(光悦基準書体である「光悦書状」などをみても、いわゆる光悦宗達コンビの作品の筆はどれも光悦ではないようにみえる)。
 
講師が指摘した証拠によって直ちに角倉素庵が揮毫したものとなるわけではないが、あらためて検証する意味はあるのではないか。
ここには、もう一方の疑問、つまり、それならばなぜ本阿弥光悦とされたきたのかという問いが浮かび上がる。講師は、後に光悦関連本(というよりは素庵関連本)が復刻された際に、光悦の署名捺印が付けられて光悦が神格化されていったのだと指摘する。
 
1632年に没した角倉素庵は能書家として有名で、その5年後に没した本阿弥光悦は短冊・色紙を染筆したことが知られていたが書家としてそこまで有名ではなかった(有名ではなかった、という部分は自分の勘違いかもしれないが)。
後に復刻された『本朝名公墨宝』において、素庵書体で素庵が揮毫した和歌巻に編集者が元の本にはなかった「本阿弥光悦」の署名を入れ、「光悦の書」として刊行したところから神格化への捏造が始まったとみられる。江戸期にはその後も、《鶴下絵》同様に、あるはずがない「光悦」印(模刻)の入った書物、復刻本等が出現、ついには「光悦流」まで登場、その下に「角倉流」が入るものまで現れた。こうした出版物によって光悦神格化が進み、明治期にそれが完成する。
 
放っておいたためうろ覚えの部分も多いし、長くなるので説明の多くを端折ったが、《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》を揮毫したのは角倉素庵だとの講師説には説得力があり、仮に素庵でないことがわかるにしても、光悦説が再検証されることがあればよいのにと願わずにいられなかった。
それに、これだけ宗達との関係が深い角倉素庵の名前が、宗達関連の展覧会等で全然出てこないというのは、あまりにも寂しいではありませんか。
 
 
今回のもう一つの「下絵のテーマは何か」については省略するが、あのすばらしい下絵をぜひこちらのサイトでごらんください。鶴たちが動きます。
 
 

2013.09.28 Saturday

竹内栖鳳展@東近美

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竹内栖鳳展をみて感じたのは、写生を出発点としながら、対象がもつ本質を浮かび上がらせるかたちを追求しつづけた画家の姿勢だ。さまざまな流派の技法を学びながら独自の表現を模索し、やがて西洋画の写実的な表現をも取り入れて、伝統的な日本画との融合に挑む。日本画でも西洋画的な写実表現ができることを、ライオンをはじめとする多種多彩な動物や風景によって示し、さらに、みる人間とみられる対象があってはじめて絵がうまれるという関係性を描いているようにもみえた(まるで量子力学の観測問題みたいですが)。

晩年にはそうしたかたちと対象がもつ本質が絶妙なバランスで調和し、融合しているようだった。蓮池に泳ぐ鴨たちを描いた《秋興》では蓮の葉を伝統的な素朴な線でかたちを捉え、白緑をあっさりと置いているのに対して、鴨は《班猫》のようにやわらかな羽毛を精緻な筆で描いている。さらに晩年になると、かたちは最低限の線だけで絶妙に表現され、画面から音や空気、いきものたちがもつこころのような何かを伝えている。

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竹内栖鳳の画業をたどるにあたって、これだけたくさんのすばらしい作品を通じて作家の変遷と挑戦に接することができたのはうれしいことで、とくに晩年の作品の多くに魅了されたことが自分にとっては大きな驚きだった。

 

竹内栖鳳展  近代日本画の巨人

東京国立近代美術館  2013年9月3日-10月14日

 

このあと平成25年度第2回所蔵作品展「MOMAT コレクション」をみた。狐たちのいる景色が静かな山口華楊《月夜野》と、新収蔵作品の速水御舟《京の家・奈良の家》(建物のかたちと構成がユニークで、フランボワーズ色の壁が目を引く)が同じ室にあって、行ったり来たりしながら何度もながめた。

 JUGEMテーマ:アート・デザイン


2013.09.22 Sunday

夏秋草図屏風@東博平成25年度秋の特別公開

東京国立博物館 平成25年度 秋の特別公開 9.18-9.29

東博H25年度秋の特別公開

秋の特別公開がやってきた。2週間限定公開なので、ぼやぼやしていていつも見逃してしまうので、今回は合格。

なかでも目当てはもちろん、こちら。
酒井抱一_夏秋草図屏風
酒井抱一《夏秋草図屏風》
約3年ぶりの再会だったので、うれしかった。
夏草図も秋草図もどちらもすばらしいのだが、今回、とくに風神の裏に描かれた、秋草が強い風に吹かれてしなっている様子、宙を舞う草の様子などを繊細な筆でみせている左隻の儚さに強く惹かれて、見入ってしまった。何度みても発見があり、何時間でもみていたくなる。
前回の出会いはこちら

酒井抱一_四季花鳥図巻02酒井抱一_四季花鳥図巻01酒井抱一_四季花鳥図巻03
酒井抱一《四季花鳥図巻》下巻
適当な写真で失礼。どこをとっても、頬が自然と緩むようなほっかりした感じがする意匠と魅力的な場面ばかり。横に流れるような仕掛けでみられたらどんなに楽しいだろう。

伝俵屋宗達_扇面散図屏風
伝俵屋宗達《扇面散図屏風》
季節のいろんな様子が描かれた扇面を絶妙の配置で散りばめている。扇面からはみ出しているモチーフの構図がどれも魅力的。

ほかにもたくさんすてきな作品があって、久しぶりに東博を堪能した。

そのあと、こちらの2階席でコーヒーとケーキをいただいて帰りました。
黒田記念館別館上島珈琲店
黒田記念館別館 上島珈琲店


2013.09.14 Saturday

八谷和彦 個展 OpenSky 3.0@3331 Arts Chiyoda

3331 Arts Chiyoda  八谷和彦 個展 「OpenSky 3.0―欲しかった飛行機、作ってみたー」
2013.7.13-9.16

OpenSky_3.0

「欲しい物なんてもうない」。確かにそうかも。テレパシー的なものって携帯電話やLINEで実現しちゃってるし。でも、本当にない?
「あ〜空、飛びたいな〜」とかたまに思ったりしません?
2003年に「こんな時代だからこそ、SFコミックのアレ、今こそ開発すべきでは?」と、ついそう思っちゃった人が10年前から作ってる飛行機を2機、3331に持ってきて展示します。もちろん飛びます。「夢だけど夢じゃなかった」的な。(八谷和彦)

OpenSky_3.0@3331

欲しかった飛行機、端的に言えば、メーヴェ。「風の谷のナウシカ」の。あれを飛ばせてみたい、乗ってみたい。まあ、そういうプロジェクトを進める人々の想いを形にした展示。関連するアート作品や小物もあった。

では、だらだらといくつか写真を。

寺田克也_龍と女の子とM-02J
寺田克也《龍と女の子とM-02J》
「OpenSky 2.0」DVDの付録になっていたイラストらしい。
M-02J
M-02J
ジェットエンジンを搭載した自作飛行機。テストを重ねているところ。滑走中の姿は左右にぶれてなかなか大変そう。
M-02
M-02
一人乗りグライダー機。ゴムの力でギューンと前に出て飛ぶところを映像で見たけども、楽しそう。乗ってみたい。
OpenSky_3.0_03
展示風景
M-02映像シミュレータとM-02Jフライトシミュレータもあった。前者が50kg、後者が60kgの体重制限。ちゃんと体重計に乗せられます。眺めるだけで十分な感じ。

併設展示「すすめ! なつのロケット団」
すすめ!なつのロケット団

ろくな写真がなくてごめんなさい。あとで見て、下手すぎて悲しくなった。決してiPhoneのせいではありません。


いつかナウシカのように颯爽と風にのって空を駆けてほしいですね。そしたら、ぜひ女性パイロットにナウシカ・コスで乗ってもらってください。よろしくお願いします。


2013.08.25 Sunday

宗達を検証する(3)「平家納経」慶長7年補作の表紙絵・見返絵

連続講座『宗達を検証する』
第三回 国宝「平家納経」慶長7年(1602)補作の表紙絵・見返絵 ―誰が描いたのか、その絵に込められた意味とは―
8月24日 於:Bunkamura B1特設会場

宗達画の「かたち」と「こころ」、とくに「こころ=意味内容」に焦点をあてるシリーズの第3回。今回のテーマは『平家納経』慶長7年補作。

『平家納経』は、平清盛が厳島神社への崇敬の念と平家の繁栄を願って厳島神社に奉納した美麗な経巻で、三十二巻の経巻と清盛自筆の願文からなる。当時は神仏習合が一般的だったので、神社に写経を奉納するというのも別に不思議なことではなかった。

広島藩主となった福島正則は、四百数十年を経て相当に傷んでいた平家納経の修復を命じ、慶長7年5月に再び奉納した。この修復の際に、化城喩品と嘱累品の二巻の表紙絵・見返絵が補作されたほか、願文に新たに表紙絵・見返絵が加えられた。この合わせて6件が宗達の筆によるものと推定されているのである。
ちなみに、明治33年(1900)にも修理が行われ、また昭和大修理(昭和31-34年)の際には、薬草喩品の表紙絵と見返絵を安田靫彦が描いている。

宗達による補作。
化城喩品では、授記品にヒントを得て、表紙絵「浜松・洲流し」で引き潮を、見返絵「槇・磯山・満ち潮」で満ち潮を描いたが、この表紙絵は、保元の乱に敗れ讃岐国に流された崇徳上皇が詠んだ無常歌を絵画化したものと考えられる。
嘱累品では、表紙絵「磯辺・散る梅花」と見返絵「槇・磯辺・満ち潮・雲」を描いた。嘱累品見返絵のモティーフは、薬草喩品にいう「一味の雨」「三草二木」の喩え(衆生に素質、能力の差があっても、仏の教えを受ければ、悟りに入ることができる)を絵画化したものと考えられる。
この「三草二木」の例えをモティーフに、宗達は晩年に《槇檜図屏風》《耕作図屏風》を描いている。
化城喩品と嘱累品が補作されたのは、表紙に装飾料紙(雁皮紙)ではなく、おそらく紗や羅のような脆弱な薄絹が使われたために再使用できないほどに劣化したためと推察する。
俵屋宗達_槇檜図屏風
《槇檜図屏風》

新たに作られた願文の表紙「薄」には落日の薄の原が描かれ、見返絵「草を食む雌鹿」では鹿の半円の形によって山の端から昇る朝陽のイメージが重ねられている。この朝陽のモティーフは厳王品の料紙装飾「山の端の日輪」からヒントを得たのだろう。
俵屋宗達_平家納経願文見返絵
願文の表紙絵と見返絵は「死」と「生」を象徴的に表したもので、過去の講座で宗達画の特徴とした「無常観」を意味する。
このほか、薄の「秋」と厳島神社の「安芸」、「鹿原」・「麓原」と「六波羅」(清盛の邸宅があった場所)という同音異義の言葉による遊び心もうかがえる。
このころ無名であった宗達が描いたのは、安田靫彦のように絵画作品としてではなく、あくまでも平清盛と崇徳院を追善供養するためであった。
なお、願文に、表紙絵と見返絵のほかに新たに附装された「櫛筆文書」の櫛筆の解釈についてはさまざまな説があるが、清盛がかつて平家納経に用いた写経筆(鹿毛筆)を櫛のように並べて櫛に見立てて奉納した、奉納目録なのではないか。この文書を守る意味で附装することを考えたのが角倉素庵だと考える。

福島正則より平家納経の修復を任されたのは誰か。豊臣家とのつながりで医師吉田宗恂かまたはその甥の角倉素庵と推察される。素庵は吉田宗恂が開設した古活字版印刷工房の事業を任されており、嵯峨の印刷工房で本の装訂と補修を行ったことがあることが書状で確認されている。そうした証拠から、慶長7年の平家納経修復が、素庵監修のもとで嵯峨印刷工房の経師によって行われ、表紙絵・見返絵について旧知の絵師宗達に依頼したと推理しているわけである。


講演は例によって大幅に時間オーバーとなり、最後は駆け足でした。



2013.08.07 Wednesday

エヴァンゲリオン展@松屋銀座

「エヴァンゲリオン展」東京展 松屋銀座8階イベントスペース 2013.8.7-8.26

エヴァンゲリオン展

アニメとしてのエヴァンゲリオンに焦点を絞った本格的なエヴァ展。

エヴァ展拡張グッズ売場

TVシリーズのセル画、貞本エヴァの漫画複製原画、新劇場版の各種設定資料、生原画などで構成され、アニメーションとしてエヴァンゲリオンがどう作られていったのかを知ることができる。これがほんの一部なのだから、かかわる人や手数のすごさが想像できるというもの。アニメは物量だ!と思える。

TVシリーズのセル画も思っていた以上に丁寧で緻密だったし、貞本義行の漫画版の複製原画は印刷よりずっときれいだったし、新劇場版の設定や背景の細かさに、手間を惜しまずにいいものを仕上げるという強い想いを感じた。
アニメーションにする過程として破の第8使徒戦が取り上げられていたが、あの驚異の場面が、(サッカー日本代表ではないが)個と集団のちからが組み合わさって誕生するところをまざまざとみせられて、感激するしかなかった。

ハイライトはやはり原画だろう。複製原画でも十分に堪能できるが、生原画の息づかいには溜息が出た。自分は、誰の作画なのかというのは少ししかわからないけども、独特のなまめかしさがある本田雄の画には惹かれる。
エヴァンゲリオン好きならもちろん行くに決っているだろうけど、アニメ好き、とくに原画好きには絶対にみてほしい展覧会だ。
会場内にはバッハの無伴奏チェロ組曲が流れていました。

グッズもたくさん揃っていて、散財すること間違いなしです。
松屋銀座ポイントカード
松屋銀座でほとんど買い物したことないのに、ポイントカード作っちゃいました。

エヴァ展エレベータ エヴァ展B1ディスプレイ
画像を追加しました。


2013.08.07 Wednesday

モネ、風景をみる眼@ポーラ美術館

ポーラ美術館 ✕ 国立西洋美術館 共同企画 「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」を箱根のポーラ美術館でみた。2013.7.13-11.24(西美での同展は2013.12.7-2014.3.9に開催)。
展覧会公式ホームページ

モネ、風景をみる眼
箱根に一泊旅行することに決めたとき、それなら一度も訪ねたことがないポーラ美術館に行こうということになった。たまたまこの企画展が開催されていたのだが、本音をいうと常設展がみたかった。そうそう行く機会があるわけではないから。

この展覧会は国内有数のモネ・コレクションで知られる両館が共同で企画したもので、ポーラ美術館にとってこれだけの規模の企画展は初めてで、西美にとっても私設美術館との共同企画も初めてだとか。同展は両館でそれぞれ開催されるが、同じ内容ではなく、それぞれの美術館の特徴を打ち出していくのだとか。
これはなかなか意義深いことだし、常設展示がみたかったなんてバチあたりなことを言ってはいけないかもしれないなー。

ポーラで所蔵作品のほとんどは初めて目にしたものだが、西美所蔵作品でも初めてみる作品がいくつかあって、ポーラ、西美ともに、持ってるなーという印象(いくつもの作品が箱根に出張している西美のモネ部屋は、いまどうなっているんだろう)。

モネ_バラ色のボート モネ_舟遊び
左:クロード・モネ《バラ色のボート》1890年 ポーラ美術館
右:クロード・モネ《舟遊び》1887年 国立西洋美術館
共同企画ということで、両館が所蔵する作品を並べて比較するなんてことが実現している。例えばこの、ボートに乗る少女を描いた作品2点。
ともに、モネがのちに再婚するアリス・オシュデの娘たちを描いたものだが、制作年代が左から右に移っているように感じたが、実は逆だということに驚く。

モネ_サン=ラザール駅の線路
クロード・モネ《サン=ラザール駅の線路》1877年 ポーラ美術館
この駅の風景もモネはよく描いている。影に色がついていくのをよく目にするだけに、煙の色が白いのが不思議な気がする。

モネの眼は観察の眼、印象・心象の眼が混ざり合ったモネだけの眼だ。
この展覧会には、モネだけでなく、同時期に活躍した作家たちの作品もたくさん出品されていて、印象派、象徴主義など、時代が動くなかでモネの位置、画風がどうなっていったか、という点もみどころのひとつ。
エドゥアール・マネ《花の中の子供(ジャック・オシュデ)》ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ《貧しき猟夫》などもお越しだし、それぞれに比較する絵があてがわれている。

作品リストを作っていないということなので、必要な方はメモをとり忘れないように(自分はまったくメモをとりませんでした。いつものことですが)。


レオナール・フジタ@ポーラ
あと、新収蔵作品となった藤田嗣治の3点が公開されていて、このうち《グロテスク》《シレーヌ》は世界初公開だそうだ。なんともいえない味わいの2点でありました。

ポーラ美術館

一度は行かなきゃと思っていたポーラ美術館をようやく訪ねることができて満足。ただ、常設展示がみられなかったので、宿題にしようと思う。それと芦ノ湖の海賊船に乗って近くまで行ったのに入らなかった成川美術館にも今度こそ行かないと。

2013.07.31 Wednesday

レオ・レオニ 絵本のしごと@Bunkamura ザ・ミュージアム

Bunkamura ザ・ミュージアム「レオ・レオニ 絵本のしごと」
2013.6.22-8.4
レオ・レオニ 絵本のしごと

「宗達を検証する」第二回講座の前にみておこうとチケットを購入して入場(並ばずに買えたけど、講座を終えて帰るころには、チケット売場に長い行列ができていて、おそれおののいた)。
入口付近に人がたまっていて、というよりは、壁沿いに蟻みたいな列をつくっていて、困った展開になっているなーと思いつつ、後ろからちょこっと覗きこみながらさっさと進む。すると隙間ができはじめていたので、わりと楽にみられる状態だった。

実はレオ・レオニという名はこの展覧会の予告ではじめて耳にした。
おはなしはどれも、教訓めいたいやみがなくて、おもしろそう。絵は、コラージュやら鉛筆、色鉛筆、水彩、油彩、クレヨンなどの技法を使いながら、シンプルな構図で描いた。さすが「色の魔術師」というだけあって、センスを感じさせるバランスのとれた美しい色使い。
そして魅力的、というか可愛らしいキャラクターが人気の理由なんだろう。とくにねずみがものすごくかわいい。自分は展示されていた作品のなかで絵という視点で『みどりのしっぽのねずみ』がいちばん気に入った。

たくさんの親子がいて、ひとりでみた自分はなんだか浮いているように感じた。とにかくすごく人気があるのはよくわかりました。ポストカードを買いたかったけども、混んでて断念。それでもまだ空いている時間帯だったことに後で気づくわけですが。
感想にもなんにもなっていないけど、いちおう記録だけ。 


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