2017.01.23 Monday

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2014.02.23 Sunday

宗達を検証する(8)「楊梅図屏風」の様式と主題

連続講座「宗達を検証する」第8回 講師:林進
紙本金地著色「楊梅(やまもも)図屏風」(個人蔵)の様式と主題 ―「一条兼遐(かねとお)書状[後水尾院勘返状]」に言う「楊梅之屏風」との関係―
1月18日 於:Bunkamura B1特設会場

まとめもせずにぼやぼやしているうちに次の第9回が終わってしまったので、もう忘却の彼方へと去ってしまったけども、テキストを頼りに第8回をどうにかやっつけたいと思います。
俵屋宗達_楊梅図屏風

  • 1998年に現れた「花木図屏風」。1939年に上野の日本美術協会で開かれた「東洋古美術展観」で彩色「流ニ秋草図屏風」として公開された作品。1999年から12年かけて修復された。現在個人蔵。
  • 落款・印章、書付もないが、白波を立てて流れる渓川の水の技法や筆法は宗達のものだ。楊梅の実の表現が印象深く、何か特別な意味があると考え、『楊梅図屏風』と名付けることにした。
  • 「醍醐家文書」の一通、「御せん丸宛 一条兼遐書状(後水尾院勘返状)」は次のようなもの。簡単に言うと「宗達がわたし(一条兼遐)に、屏風三双に下絵を描きつけ終えた、三双のうち『楊梅之図』はいち早く金箔を置き終えた、と言ってきた」という内容。
  • 屏風三双は、寛永7年の法橋叙位の返礼として三御所(明正天皇、後水尾院、東福門院)に進上するもので、このうち後水尾院から兼題として与えられたのが「楊梅之屏風」だったと考察する。狩野山雪が法橋叙位の御礼として、四御所に屏風四双を進上しているのと同様のケースと考えられる。御所からの注文のため落款等がない。
  • 「楊梅図屏風」の下地処理は「槇檜図屏風」(石川県立美術館蔵)と同じ、川波の均一で伸びやかな水墨線は「松島図屏風」(フリーア美術館蔵)の海波と同じ線質、なだらかな曲線の緑青土坡は「源氏物語図屏風・関屋図」(静嘉堂文庫美術館蔵)と同じ形。
  • 朝廷は素庵校訂古活字本『本朝文粋』を野野村知求(宗達の学者名か)が出版した功績に対する褒賞として1630年春に宗達に法橋を叙位したと考える。慣例となっている叙位への返礼は、中和門院の崩御と明正天皇の即位などの事情があって遅れたようだが、後水尾院は仙洞御所進上の屏風一双に自ら選んだ画題「楊梅」を金箔地に描くことを命じた。
  • 後水尾院は、亡き母、中和門院の好物であった楊梅の実を手向けの果実として追善するために、楊梅の兼題を宗達に与えたのではないだろうか。長く棚引く「紫(銀)の雲」は皇后の異称であり、弔いの意味がある。これを受けて宗達は、楊梅のモティーフを趣向(横筋)とし、直前に模写した海田采女本『西行法師行状絵詞』を「時代」(縦筋)として構想したのではないか。第一巻第一段に描かれた鳥羽殿の場面、第一番目の障子絵をみて西行が「初春の雪積りたる山の麓に谷河の流れたる所を見て」と詠んだ、その障子絵を再び屏風絵として絵画化したものである。
  • 1939年の「東洋古美術展観」では彩色「流ニ秋草図屏風」とともに「雑木林図屏風」が展示され、同図録に二つの屏風が同じページに単色図版で掲載された。この「雑木林図屏風」は、宗達工房作「樹林図屏風」(フリーア美術館蔵)等と構図が共通することから、「楊梅図屏風」の対として描かれた宗達作品と考える。名付けるとしたら「花橘図屏風」となる。
  • 〔第9回での補足〕「花橘図屏風」では、西行が詠んだ「聞かずとも此処を瀬にせむ郭公 山田の原の杉の群立ち」を構図したものに、郭公(ホトトギス)と取り合わされて詠まれてきた白い花橘を描き入れた。
  • 宗達の出身地について。野野村知求、江村知求などの名前から考えて、近江国(江州)野洲群野村、つまり近江八幡ではないかと想像している。堀杏庵も同じ出身地。

今回の重要点。寛永6年(1929)に角倉素庵校・野野村知求(宗達か)刻の古活字版『本朝文粋』が刊行され、翌年に尾張初代藩主徳川義直に進上、禁裏、公家等に献上され、この功績により同年、法橋が叙位されたと推測していることである。そして、その御礼として三御所に進上された三双のうち、後水尾院に進上されたのが「楊梅図屏風」であり、その対をなすのが「花橘図屏風」(旧「雑木林図屏風」)であったという見方である。
この一連の考え方は宗達作品の制作時期にかかわるので、非常に重要な指摘である。それについては第9回で。

2014.02.05 Wednesday

日本美術の祭典@トーハク&トビカン

上野の東京国立博物館と東京都美術館で開かれている「日本美術の祭典」に行ってきました。同時期に日本美術の特別展を開いているトーハクとトビカンのコラボ企画(ポストカードがもらえるスタンプラリーやってます!)

日本美術の祭典

クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美(東京国立博物館平成館)2014.1.1-2.23
人間国宝展 生み出された美、伝えゆくわざ(東京国立博物館平成館)2014.1.15-2.23
日本美術院再興100年 特別展 世紀の日本画(東京都美術館)2014.1.25-4.1

3展共通特別先行前売券(会場で上記画像のチケットに引き換え)を手に入れていたので、たいへんお得にみることができました(こういう情報を日々発信されている方々にあらためて感謝!)。


「クリーブランド美術館展」では雪村周継《龍虎図屏風》、渡辺始興《燕子花図屏風》、深江蘆州《蔦の細道図屏風》なんかが好みだったが、全体としての印象は意外にあっさりしていたかも。
渡辺始興_燕子花図屏風

「人間国宝展」では伝統的な工芸品と現代の巨匠たちによる工芸品が数々並んでいて壮観だった。好きな人には堪らないだろうなあ(タイミングによるかもしれないが、クリーブランドより人気があるのでは、と思えるほどの入りだった)。

「世紀の日本画」は日本美術院再興100年を記念した特別展で、前期と後期で作品がざっくりと入れ替わるようだ。個人的には小林古径祭りを開催、安田靫彦の作品ともども堪能。
小林古径《阿弥陀堂》の幽玄な佇まいには身震いさせられ、《竹取物語》の凄みすら感じさせる想像力と構成力に溢れた6つの場面にただただ感激した。この《竹取物語》に魅了されたのなら、ぜひ高畑勲監督「かぐや姫の物語」をぜひご覧あれ(こちらはまさに動く日本美術です)。
小林古径《楊貴妃》と安田靫彦《飛鳥の春の額田王》の並びにも参った。どちらも美術本で繰り返し眺めてきた作品で、まさか並んでいるとは想像もしていなかったので、みた瞬間、瞳孔が最大限に拡張していたと思う。古径の剃刀のような切れ味の線と構図、靫彦のもう少し穏やかな線と構成を、並べてじっくりみられたのは、ほんとうに幸せだった。どちらも美しい線で定評のあるところだけど、なるほどと思うような違いも感じられた。
このふたりの作品だけでなく、小倉遊亀《径》をはじめ、近代日本美術の名品をよくぞここまで集めてくれたと言いたくなるような見事な作品ばかりで、圧巻だった。トーハクの2展と比べるとずいぶんと空いていたのがとても残念だった。
今年いくつの展覧会に行けるかわからないけど、ベスト展覧会の1つに入ってくること間違いなし。後期も楽しみだ。
安田靫彦_飛鳥の春の額田王 小倉遊亀_径

2014.01.05 Sunday

シャヴァンヌ展@Bunkamura

Bunkamura ザ・ミュージアム「シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界」 2014.1.2-3.9

シャヴァンヌ展
まさか日本でシャヴァンヌ展がみられるなんて、想像したこともなかったので、この展覧会の開催を知ったときには驚いた。シャヴァンヌの名前を初めて意識したのは、国立西洋美術館所蔵《貧しき漁夫》だったと思う。その後、フランスの多くの公共施設でいくつもの壁画を手がけ、<19世紀最大の壁画家>とも称されることを知った。

シャヴァンヌに感じる魅力は、荒々しさのない静かで牧歌的ともいえる、神話的な情景を、フレスコ画に例えられる抑えた色味で描いていることである。とくにフランスを戦乱や内乱が襲った時代を背景に、叙情的な理想郷を描くことで、平和への祈りを込めた。

男性女性問わず多く描かれた裸体はギリシャ彫刻を思わせるものが多く、古典的とも言われる。しかし、そこに描かれている情景は幻想的で寓意に満ち、独特の平面性をもつ。そのあたりが象徴主義の先駆けともいわれる所以なのかとも感じる。

シャヴァンヌ_秋
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《秋》

シャヴァンヌ_海辺の乙女たち
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《海辺の乙女たち》

壁画の縮小版がたくさんあって、そういう仕事をしているから、壁画家でもあるシャヴァンヌの画業を極東の島国でもみられるのだなあ、なんて感謝したり。リヨン美術館の壁画はぜひみにいきたいものだ。

《瞑想(習作)》《秋》がとても気に入った。デッサンや習作、未完成作に惹かれるからかもしれないし、余白が好きなのかとも思う。《聖人のフリーズ》もすばらしくて、これはリズムがいいからなのか、単純にこうした構図が好きなのか、心地よさを感じる。

静かな絵を静かな心持ちでみて、穏やかな気持ちになる。そんな、すばらしい展覧会だった。こういう企画がもっと実現されるとうれしい。


2014.01.04 Saturday

博物館に初もうで@トーハク

2日に出かけるつもりがちょっと遅くなってしまったので、翌日あらためて東京国立博物館「博物館に初もうで」に行ってきました。

せっかく上野に来たので、まずは東照宮に初詣。
東照宮
黒に金ってほんとうにきれいだ。思ったほど、というより人はあまりいなくて、いいところで初詣できました。

それからトーハクへ。
博物館に初もうで
チラシもらってくるの忘れたので、HPからお借りしました。

正面玄関ではちょうど獅子舞が始まるところ。人だかりができていたので、着物を着た相方と遠巻きに見ていたら、何かが盛大に撒かれ、そのひとつが手前の空間に落ちて、こちらへ転がってきました。拾ってみると小判、ラッキーでした。
トーハク小判
しばらく獅子舞をみてから本館に入ると、階段の上には正月らしい華やかな生け花が。
トーハク生け花

展示のほうは、やはり国宝室の長谷川等伯《松林図屏風》がお目当てでしたが、室内はとても混んでいて、全体像をゆっくりみることは残念ながらできませんでした。このほか、雪村周継《鷹山水図屏風》など、相変わらず、いいものがたくさんありました。

干支にあわせて、うまに関する絵画、工芸品などを集めた特別室に入ろうとしたら、カレンダーをもらえました。
トーハク2014カレンダー
同室に展示されている長谷川等伯《牧場図屏風》の部分がデザインされていました。とても雰囲気のある屏風でした。

こんな感じの2014年の初詣と初博物館、とりあえず記録まで。


2013.12.31 Tuesday

2013年の美術展ベスト3

みにいった展覧会がこれだけ少なくなって、果たしてベストを決めたりしてよいのだろうか、などと思わないでもないが、まあ一応恒例なので、やはりこれで締めくくらないと新たな年をむかえられないでしょう。なんて。

第1位 夏目漱石の美術世界展(東京藝術大学大学美術館)
夏目漱石の美術世界展
夏目漱石を軸に美術作品を集めるという企画がとてもおもしろいし、なにより展示そのものが楽しく刺激的に構成されていて、展覧会としての完成度が高かったと思う。ウォーターハウスの2点も来日していたし。

第2位 アントニオ・ロペス展(Bunkamura ザ・ミュージアム)
アントニオ・ロペス展アントニオ・ロペス展2
アントニオ・ロペスの名前しか知らなかったのにチラシで見た《マリアの肖像》に魅せられて展覧会に足を運び、この作家に触れた。そういう展覧会との幸運な出会いに感謝している。

第3位 和様の書(東京国立博物館平成館)
和様の書
書を自分がどれくらい楽しめるのだろうかと思いつつ出かけ、和様の書の美しさ、多様さ、そして個性に触れ、日本語の見た目の美しさにうっとり、眼福にあずかった。

次点 貴婦人と一角獣展(国立新美術館)
貴婦人と一角獣展
6枚の巨大なタピスリーが広くて高い空間を埋めているその景色だけでもう圧倒された。その展示空間にいる不思議な感覚こそが、この展覧会を何か得難いものにしてくれた。
カイユボット展と迷ったのですが。


みた展覧会は年々減っていくばかりで、みのがして悔いを残すこともしばしば。今年ちゃんと行けばよかったと思う展覧会のいちばんは京都展(東博)かな。
毎年同じことを書いているけど、後悔しないように来年はもっと展覧会に出かけたいものです。
ではみなさん、よいお年を。

2013.12.31 Tuesday

宗達を検証する(7)重要文化財「西行物語絵巻」の改変

連続講座「宗達を検証する」第7回 講師:林進
重要文化財「西行物語絵巻」(宗達模写、出光美術館)の改変 ―西行往生の場面における「無常」の表象について―
12月14日 於:Bunkamura B1特設会場

『西行物語絵巻』の写本や絵巻を比較しながら、宗達模写の絵巻について、講師曰く「重箱の隅をつつくように」読み解こうという試み。こうやって細かなところを解き明かしていく姿勢が美術史(に限らないだろうが)なのかと、とても興味深く拝聴したので、長くなってしまっていました。

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平安末鎌倉初期の歌人西行の発心、修行、往生を物語化した「西行物語」を絵画化したものが「西行物語絵」であり、写本、絵巻、版本が多数伝わる。
このうち「西行物語絵巻」は、文字でしるした詞書とそれに対応する絵をあわせて数巻の巻物に仕立てた作品。文章の内容によって三系統に分類される。
(1)広本系:物語量が最大のテキスト。出家後の西行がすぐに吉野、熊野、大峰をめぐる旅に出る話で始まる。
‘狙酥術館本と相国寺承天閣美術館本はもとは同じ四、五巻セットの絵巻のうちのそれぞれ一巻で、鎌倉時代(13世紀中頃)の制作と推定(詞書と絵の筆者不明)。
▲汽鵐肇蝓屡術館白描本は南北朝時代の制作と推定。
(2)略本系:出家後の西行がすぐに伊勢に赴く本。
.汽鵐肇蝓屡術館著色本は三巻本で、室町時代(15世紀頃)の制作と推定(詞書と絵の筆者不明)。
(3)采女本系:明応九年(1500年)に三条公敦が詞書を書き、梅田采女佑源相保が絵を描いた絵巻の系統。原本は伝わっておらず、近世の模本がある。
…天擴筏貘∨楔浚本
▲札鵐船絅蝓屡術館本四巻本
出光美術館本・宗達模写本四巻本
づ亙娉繁槝惨本

この出光美術館本は、制作年がわかる宗達の基準作のひとつということで重要。制作由来には、権大納言烏丸光広が越前福井藩主松平忠昌の家老の依頼により、禁裏御文庫に収蔵されている『西行法師行状之絵詞』四巻(采女本)を借りだして、模写本の制作を法橋宗達に命じた、とある。宗達の模写が完成した後、光広が染筆した。寛永七年(1630)のことである。
宗達模写本は松平忠昌から長州藩主毛利家に渡った。現在、四巻のうち第一巻、第二巻、第四巻は出光美術館に所蔵され、第三巻は断簡となって掛幅装に改装され、出光美術館ほかに分蔵されている。
い療亙娉繁椶蓮⊇|の模写と同時に許可を得て俵屋絵師によって模写された「手控え本」で、留めおく目的で素早く簡略に描いたものである。

…天擴筏貘∨椶鉢▲札鵐船絅蝓屡術館本(以下、セ美本)は原本を忠実に模写したものと推定され、づ亙娉繁椶盍蔑化されているものの、同様である。宗達筆の出光美術館本だけが異なる特徴をもっている。渡辺家本がのっぺりと薄いのに対して、宗達筆ははっきりとメリハリ、奥行き感があり、宗達画の特徴に一致する。

出光美術館本第四巻十二段「西行往生」では、原本からの明らかな改変がある。
もっとも重要なのは、西行が阿弥陀如来像に向かって合掌する東山双林寺の室内(阿弥陀堂)が、宗達筆ではすべて畳敷きであるのに対して、セ美本と渡辺家本では阿弥陀如来像が立つ部分が板敷きで、残りが畳となっていること、そして、左側の池のある庭に立つ二本の桜が、セ美本では散りかけた白い花、渡辺家本では花盛りの桜色となっているのに対して、宗達筆では葉桜になっていることだ。

西行物語絵巻
(講座テキストより)

宗達はなぜそのような改変をおこなったのだろう。
西行が葉桜の名残を詠んだ和歌一首「青葉さへ見れば心のとまるかな 散りにし花の名残りを思へば」に即して絵画化し、西行への追善の意を込め、西行の死を描かずに青葉への時間の推移を描いて無常観を表したのではないか。そして室内のほうは、阿弥陀堂ではなく庵室で往生の期を待つ西行のもとに阿弥陀如来が来迎し、畳の上にそっと座られた、と解釈できる。
庵室と庭を同じ時間で描いたのではなく、絵巻の伝統を応用して、右側の庵室の場面から左側の葉桜へと時間の経過を描いて、宗達なりの無常観を表現したのではないだろうか。

絵画の制作は依頼者に向かって行うこともあれば、この場面のように西行(あるいは西行の和歌)に対して描くこともあっただろう。ここで表現した無常観を果たして依頼者がわかっただろうか。

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模写はただ絵を写しとるだけでなく、物語に込められたさまざまなものに寄り添うことで、あらたな可能性がみえてくる、そんな解釈があるのかもしれない。そんなことをつらつらと考えさせられる講義だった。

2013.12.30 Monday

宗達を検証する(6)国宝「蓮池水禽図」

連続講座『宗達を検証する』講師:林進
第6回 国宝「蓮池水禽図」―宗達絵画の《時間》についてー
11月16日 於:Bunkamura B1特設会場

この第6回講座から1か月以上も経って、今年も暮れようとしています。早めに下書きをして放っておいたら第7回がやってきてしまい、相当重い腰を上げたところ、下書きがない!という驚愕の事態となったため、あらためて書き直しとなりました。どうにかこうにか記憶をたどりつつ、なんとか仕上げたいと思います。

俵屋宗達の水墨画の到達点である《蓮池水禽図》で宗達が何を描いたのかが今回のテーマ。同時に、”町絵師宗達の初期の水墨画”とする定説に挑む。

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宗達_蓮池水禽図
国宝《蓮池水禽図》は現存する宗達水墨画として最初の作品(元和初年頃)でありながら、すでに最高の表現に達する、というのが定説になっている(山根有三「宗達と水墨画」『宗達研究 二』1966)。山根氏は、金銀泥下絵の色紙や和歌巻の制作過程において、水墨画を描きはしなかったが、絶えず牧谿の水墨画を意識していたと述べている。
これは宗達が京都の上層町衆出身の画家とみる考えに基づくものがだ、では、金銀泥下絵のデッサン力をいかに身につけたのか。さらには、《龍雲図屏風》の大画面構成、《楊梅図屏風》《舞楽図屏風》《風神雷神図屏風》の金箔押地、益田家本《宗達伊勢物語図色紙》の大和絵「つくり絵」の表現法が、はたして町絵師に可能だろうか。

宗達は狩野派で技法を学んだとみる。宗達がはじめ狩野永徳の弟子であったとの説がある(『皇朝名画拾彙』)。狩野永徳が没した後、絵草紙屋を営んだ狩野一雲や、屏風絵所を開いた沼津乗昌のように、弟子の一部は狩野派を離れ、町絵師となった。宗達も六原で俵屋を開いたと考えられる。
宗達は元和期以降、押絵貼屏風のための扇面図、水墨画を描くことが多くなり、やがて法橋に叙位されたことで、はからずも屏風絵や襖絵、杉戸絵を描かざるを得なかったのだ。寛永十年ころに《養源院襖絵》《白鷺図》《神農図》を最後に引退したと考える。《蓮池水禽図》はおそらく法橋叙位の少し前の作だろう。

《蓮池水禽図》は具引きを施し、その白い素地により水墨の濃淡の深みが生まれ、外隅によって白蓮の花の白が浮かび上がる。水墨の斑はたらし込みだ。この図で使い分けられている多様な描線は非凡な才能と鋭敏な感覚を持つものの手になるものだ。

宗達は金銀泥画や水墨画などを描くとき、とくに「時間の推移」の表現に心を配る。この点は俵屋の絵師たちと異なるところである。《金銀泥蓮下絵百人一首和歌巻》では蓮の一生、《金銀泥四季花卉下絵古今和歌巻》では四季の花卉・花木を描いて四季の移りを表した。
《蓮池水禽図》は蕾から花托までのわずか4日の蓮の花の生命のうち、開花4日目と花托寸前の姿を描いている。画面左側の薄墨は水に沈む敗荷。宗達は終わりゆく生命の最期の輝きを表現するとともに、次に生まれ来るものへの期待感を込めた。
早朝、やわらかな陽の光が蓮池の水面を照らし始め、カイツブリの一日が始める場面で、蓮の花とカイツブリの生命の形を対照的に描いたのだ。


さて、この後も続くのだが、もうひとつ、《槇檜図屏風》(石川県立美術館)について。この図の主題は、陽の光のように輝いているが、ここで描かれているのは、槇檜樅の叢林に降り注ぐ慈雨なのである。「かの大雲の、一切の卉木、叢林及び諸の薬草に雨るに、その種性に如って、具足して潤を蒙り、各、生長することを得る」(『法華経』「薬草喩品」)

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宗達が狩野派で技法を習得し、その後町絵師となって、水墨画や大画面、金箔押地、杉戸絵などを描いた、という話はなかなか納得できるが、いかんせんはっきりした証拠がないのが残念だ。

2013.12.01 Sunday

モローとルオー@パナソニック汐留ミュージアム

パナソニック汐留ミュージアムで「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」をみた。
モローとルオー展
ギュスターヴ・モローとジョルジュ・ルオーはパリの国立美術学校の教授と生徒として出会い、生涯の師弟関係となった。モローはルオーの才能を伸ばそうと助言するだけでなく、自らもルオーから学び、刺激を受けていた。
往復書簡では筆不精な弟子に不満を示したり、言葉の使い方を指摘するモローがおかしいが、そんなところにも信頼関係がみえる。

初期のルオーはモローの作品のにおいがする作品を描いていたようにみえ、そのせいか、モロー亡き後に確立する画風よりも、モロー好きからすると好ましく感じられた。
モローは自らが理想とするモチーフを一貫して追い求めながら、その理想へとさまざまな試みをしていたようだ。パリのギュスターヴ・モロー美術館を訪れると、画面がすべて埋まっていない作品が多いが、そうした作品も、いわゆる完成作とくらべて見劣りするかとういうと、そういうことは一切なく、どれも輝いてみえる。本展でも、下絵や習作がいくつか展示されているが、やはり、まだ途中だななんて感想ではなく、こういうひとつの過程もひとつの形で、それとは別に本作が出現するといったようなものに感じられるくらい、下絵や習作自体が魅力をもっているのだ。
モロー28歳の《ピエタ》(岐阜県美術館)の、荒涼と静寂の光景の美しさ、《《サロメ》のための習作》(モロー美術館)、数点の《油絵下絵》と、どれもそれぞれに確固たる魅力をたたえている。未完成作も完成作もなく、その一つ一つの作品に制作しているモローの想いや目指すものが色濃く表れているから、強い印象を受けるのだろうか。
サロメのための習作
《《サロメ》のための習作》
トミュリスとキュロスまたはトミュリス女王
《トミュリスとキュロスまたはトミュリス女王》

ギュスターヴ・モロー美術館を訪れたときの記事はこちら


 

2013.11.09 Saturday

カメラと目と@カイユボット展



ブリヂストン美術館で開催中の「カイユボット展―都市の印象派」(2013.10.10-12.29)は、なんとも魅力的な展示構成だった。
ギュスターヴ・カイユボットを印象派の重要作家として位置づけ、画家によって描かれた移りゆくパリの姿や自然の風景に、同様にそれらの風景・光景をおさめた弟マルシャルの写真、さらに親交のあった印象派画家たちの作品を交えて、都市と郊外と人々の生活が織りなす時代を鮮やかに浮かび上がらせた。

“カイユボットの近くに写真があった”ことが強調されていたように、カイユボットはカメラによって切り取られたものと自分自身の目が捉えたものを照らし合わせ、組み合わせたりしながら、構図を練ったのではないかと思えた。
この兄弟の作品から受ける印象は、経済的な憂いなく、暮らしを人生を楽しんだ、おだやかな生活である。そのおだやかで誠実で親密な視線が街や人々に向けられている、そんな作品たちにたまらなく惹きつけられる。
床にパリの地図を敷いて、カイユボット縁の地点にデジタル・ディスプレイを配置した、パリ部屋とでもいうべき展示室まで据えられ、画家たちの作品、写真、現在のパリの写真によって、私達はパリへと誘われる。


2013.10.20 Sunday

宗達を検証する(5)古活字版・整版本「嵯峨本」の成立と展開

連続講座『宗達を検証する』講師:林進
第五回 古活字版・整版本「嵯峨本」の成立と展開 ―活字書体設計者としての素庵、装飾料紙作家としての宗達ー
10月18日 於:Bunkamura B1特設会場
 
今回のテーマは嵯峨本。角倉素庵書体に焦点を当てるもので、宗達は事実上お休み。これまで特記してこなかったが、この連続講座では、貴重なものを含めて講師が所蔵するさまざまな資料を惜しげもなく手にとって見させてくれるという特典がある。そのおかげで、理解度が増すのだが、一方で、手と目が忙しくなって耳が疎かになるという危険が・・・。
では本題に入りましょう。

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角倉素庵(1571-1632)は本姓吉田。与一という名だが、京角倉の当主の通名として長子が受け継いだため、混乱を避けるため素庵を使用する。
洛西嵯峨において父了以とともに土倉(金融業、屋号「角蔵」)で財をなし、幕府の許可を得て安南国(ベトナム)朱印船貿易で薬種、香木、中国書物を扱ったほか、富士川、高瀬川運河などの河川開鑿を行い、河川の保守、水上輸送の管理を行った。
学者になりたかった素庵は本業をやりながら、空き時間に本をよみ、歌をよみ、書をかき、そして書家として素庵流書を確立した。
こうした素庵のすべてが、千光寺大悲閣にある堀杏庵撰『素庵行状碑文』に書かれている。
 
当時、学者であっても自らの研究書や文章を生きているときに発表することはほとんどなく、死後、家族や弟子がまとめたり発表したりするのが一般的だった。上記の素庵行状にも素庵が数十巻もの研究書を書いていたことが書かれているが、それらは残っていない。業績として残そうというようなことがなかったのだ。
今日のテーマである「嵯峨本」についても、国文学や美術の面からだけでなく、現代でいうフォントの面でも大変重要な業績であるが、当時の常識としてあえてそれを記録したり評価するというようなものではなかった。
「嵯峨本」本体についても素庵がそれを行ったという記録がまったくない。唯一、『羅山林先生集』(1659)所収「羅山先生年譜」に、吉田玄之(角倉素庵)が嵯峨で『史記』を刊行したことが記されている。慶長八年(1603)刊『言経卿記』には公家が嵯峨から『史記』を取り寄せた旨が記されており、その後、宝永七年(1710)刊『弁疑書目録』に初めて「嵯峨本書目」が附載された。

川瀬一馬は『嵯峨本図考』(1932)で嵯峨本を「光悦が自ら版下を書き、其の装コウ(さんずいに広の旧字体)に美術的の意匠を施したもの、並びに光悦の書風・装コウ等を頗る豊富に具備する刻書」と定義づけた。「光悦の書跡」については旧説を踏襲したのみで実証研究することはなかった。
私は嵯峨本を「素庵自らが版下を書いた整版本、素庵書体に倣った活字(素庵書体を熟知した字彫り師)で印刷された活字本。具引地・雲母刷文様料紙を用い、美麗な装訂を施した本。素庵工房で刊行された本。覆刻本は除く。」と定義する。

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まだ序の口で、このあと、豊富な資料をもとに、素庵が写本することで書体を確立することになったこと、嵯峨本の書体等を比較検討することで、さまざまな検証を行っていくのだが、長くなるのでこのあたりで(手抜き御免!)。
講師は、嵯峨本が慶長年間に嵯峨において角倉素庵自ら企画出版した本で、嵯峨本活字は素庵自身がデザイン、印刷工房の字彫り師が活字を製作、木版雲母刷文様の表紙や本文料紙は俵屋宗達工房で製作された、と結論付ける。その結果、前回同様、光悦の書体とされてきたものの多くが実は素庵のものということになり、光悦は茶人、数寄者としてのみ残る。つまり、蒔絵も光悦の業績でなくなる、というほどのインパクトを与えるのだから、おいそれと納得できない人も多いだろう。しかし、光悦のものとされる仕事の多くが素庵の仕事であった可能性を指摘する研究が進められているのだから、これはやはり検証するしかないでしょう。それをやるのはいつか。今でしょ!(古い!)

10月26日から五島美術館で光悦展が開催されるので、ぜひ訪れて、展示されているものの多くが光悦ではなく素庵の手になるものかもしれない、という目で眺めてみたいとは思っている。
 


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