2017.06.11 Sunday

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2014.03.25 Tuesday

宗達を検証する(10)風神雷神図屏風と伊勢物語図色紙の成立

連続講座「宗達を検証する」第10回 講師:林進
国宝「風神雷神図屏風」と増田家旧蔵「伊勢物語図色紙」(全36図)の成立 ―その制作年と制作意図に共通するものとはー
3月22日 於:Bunkamura B1特設会場

この連続講座もいよいよ最終回となり、管理人もどうにか休むことなく、この知的興奮に満ちた楽しい講座を堪能しました。

今回のテーマは「風神雷神図屏風」。これがいつ、どういう目的で制作されたのかを、制作年がある程度推定できる「伊勢物語図色紙」との共通点を探ることで解き明かそうとする試み。

  • 宗達の出自と社会的基盤については、京の上層町衆出身の絵師とする説と、六原の絵師とする説がある。前者は論拠とする「妙持宛 千少庵書状」にある「俵屋宗達」が絵師である確証が得られていない。後者は「宗舟・平次宛 角倉素庵書状」に「六原ノ絵かき」とあり、素庵と関係する町絵師が実在したことを論拠としているが、それが宗達であるかは不明である。が、後者の説に基づくことで、宗達の実像の一端を掴むことができると考える。
  • 宗達にとってのターニングポイントは、角倉素庵が癩(ハンセン病)を患い隠棲したことである。当時、癩者は、乞食として放浪の旅に出るか、東山・清水坂の非人宿に入って物乞いの生活を送るかの選択しかなかったが、素庵の場合は息子たちや周囲のはからいで嵯峨千光寺跡地に隠棲して静かな学究生活を送ることができた。
  • 宗達は素庵が校訂した『本朝文粋』の出版で恩に報いようとした。癩者に直接関わることは世間の掟に背くことであり、おそらく宗達はそれを機に絵筆を置くことを決意していた。しかしこの出版によって法橋に叙位され、絵の進上を余儀なくされ、更なる注文が入り、絵師を辞めることができなくなった。宗達は東福門院に依頼された養源院本堂の襖絵と杉戸絵を描き終えて寛永十年に絵筆を置いた。
  • 俵屋で制作された「伊勢物語図色紙」は宗達芸術の集大成の一つ。三十六図からなる益田孝旧蔵「伊勢物語図色紙」画帖(益田家本)は、俵屋工房で制作された他の同色紙群より先駆けて作られた作品で、宗達が『伊勢物語』から三十一段の章段を選んで、構図を考え、下絵を付け、工房の絵師の協力を得て制作した。一般に「伝宗達筆」とされているが、「宗達筆」とすべきである。
  • 山根有三氏は同色紙の第三十九段「女車の蛍」を掛け軸に改装する際に古い裏打紙に「高松様」と書かれた紙片を発見し、詞書の染筆者を示す裏書であることを突き止めた。その他の段も含めた裏書の研究から、色紙絵の制作が寛永十年夏までには終わっていたと考えられる。また、行方不明になり再発見された「女車の蛍」が再び改装された際には、宗達自筆の指示書が発見され、それは宗達が配下の者に主要モティーフを正確に描くことを求めたものと解釈される指示であった。この指示書の筆跡は「快庵宛 宗達書状」の筆跡と共通しており、この宗達書状が絵師宗達のものであることが確認された(快庵は素庵の親戚で医師の吉田快庵)。
  • 江戸時代初期から二曲一双屏風が好まれるようになり、宗達筆「舞楽図屏風」と「風神雷神図屏風」はその代表作。「風神雷神図屏風」は、風神と雷神を一双の両端上部に配置し、中央ニ扇はほぼ金地の虚空として広い空間を感じさせる。風神と雷神を水平視で描くことで親しみのある人間的な鬼神を感じさせる。たらし込み、太い輪郭線描写など、宗達の特徴が表れている(三寸金箔押しの手法は狩野山楽と同じであり、宗達はやはり狩野派であったろうと思う)。山根有三氏は、高らかに笑う雷神の姿に、最後の画境に到達した宗達の姿を見たが、近づいてみると、寂しげで、泣いているようにも見え、複雑な表情をしている。
  • 「風神雷神図屏風」の構図の特異性は、中央ニ扇にニ神の身体がまったく描かれていないこと、雷神が人間の表情に似ていること、風神が深い皺や白い眉毛など老人の顔貌であること、本来三本指の手、二本指の足である雷神をどちらも五本指で描いて神ではなく人間にしていること、赤色の肉身であるはずの雷神が白色であること、など。
  • 宗達はどんな意味を「風神雷神図屏風」に込めたのか、雷神の「鉢巻」、「白色の肉体」、「ふんわりと軽やかな黒雲」から深意を探ってみたい。鉢巻は、菅原道真が雷神と化す謡曲『雷電』の装束の鉢巻を表し、黒雲は、同じくこの謡曲から、雷神が虚空に上ったときに乗った黒雲を描いたと考える。そして、白色には、白癩(皮膚が白くなる癩を当時そう呼んだ)を患い失明してなくなった素庵を重ね、自らも風神となって雷神に寄り添った。素庵は寛永九年六月二十二日に没しており、この屏風は翌年の夏までに、素庵の追善・鎮魂のために描かれたであろう。「耕作図屏風」や養源院の杉戸絵との共通点からも、これらが同時期の制作であると考える。
  • 「風神雷神図屏風」は、清水寺の火事で焼失した風神像・雷神像が宗達を刺激し、宗達は素庵の一周忌のために制作したと考える。誰かが発注したわけでもなく、自分のために描いて手元に置いたため、落款印章は必要なかった。その後、江戸時代後期に俵屋・野野村家から近隣の臨済宗建仁寺に寄進されたと思われる。

十回の連続講座もこれにて終了。毎回時間オーバーで最後は慌ただしく終わってしまうような濃密な時間だった。先生もお疲れになったと思うが、聴くほうも頭の整理が追いつかなくて大変だった。そんなわけで、言い訳になるが、毎回テキストをなぞるようなまとめになってしまった、というよりまとめになっていない。なので、少しは自分の言葉でまとめたいと思うので、全体の簡単なまとめをまた後でやろうと思っている(実現できるかどうかわかりませんが)。

最後に、この講座の参加希望者が定員よりずっと多かったそうで、参加できなかった方のためにも、ウェブ上で講座のまとめをすることになったというお知らせがありました。しかも、講座でできなかった内容も追加されるとか。4月から順次アップしていくようなので、みなさんお楽しみに(そうなるとこのブログの記事はこっそり削除してしまったほうがいいかもしれない)。
また、将来的には出版も考えておられるようなので、これも楽しみに待つとしよう。

2014.03.21 Friday

ラファエル前派展@森ACG

森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展」をみた。

ラファエル前派展
全般的に単純に好きだと感じる作品が揃っていてずっと幸せな気分に浸っていられたが、ラファエル前派兄弟団の短い活動期間のなかでも変化があることがわかる展示になっていて、興味深かった。

今回とくに楽しみにしていたのが、ロセッティ《見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)》だった。解説は専門家に譲るとして、縦長の画面に白を基調に赤、青、金を配置した、清浄な雰囲気が美しくて、なんども戻って眺めた。これが受胎告知とは斬新だが、狭い部屋にロセッティの妹と弟がモデルというふたりの姿がとても身近に感じられる。
アーサー・ヒューズ《聖アグネス祭前夜》もよかったし、ミレイ《オフィーリア》前回みたときよりずっと魅力的だった。それとバーン=ジョーンズはやはり好きだ。どれも物語があるから余計に惹かれるのかもしれない。

人物紹介や人物相関図のパネル展示を読むと、かれらのエネルギーの源に恋愛関係があったのだろうと思わずにはいられなかった。

ロセッティ_受胎告知 ミレイ_オフィーリア バーン=ジョーンズ_愛の神殿

2014.03.17 Monday

世紀の日本画(後期)@トビカン

日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」を、東京都美術館で前期につづいて後期もみた。 
前期が圧巻の展示だったので、後期にも期待していたが、個人的な好みでいえばイマイチだった。もちろん、安田靫彦《御産の褥》小林古径《孔雀》小茂田青樹《虫魚画巻》など、すばらしい作品もあったが。前期がすごすぎたのかもしれない。

今回の訪問で惹かれたのは、冨田溪仙《許栖岩(列仙のうち》前田青邨《知盛幻生》。前者はもやもやっとして一見、馬以外がなんだかわからなかったけど、異界との境界みたいな雰囲気に吸い込まれた。後者は、全体を覆う緊迫感、とくに海の描写に異様な迫力が漲っていて、そのエネルギーが流れでてくるようだった。

小林古径_孔雀

前期後期ともにそれぞれ1回入れ替えがあったので、すべてはみられなかったけど、これだけの作品をよくぞ集めてくれたと感謝。短いですが、記録まで。

2014.03.02 Sunday

宗達を検証する(9)養源院の襖絵「松岩図」・杉戸絵「白象図ほか」

連続講座「宗達を検証する」第9回 講師:林進
重要文化財 養源院の襖絵「松岩図」・杉戸絵「白象図ほか」―制作の依頼者、趣旨、制作年についてー
2月22日 於:Bunkamura B1特設会場

今回は忘れないうちにさっさと仕上げてしまいましょう。
第9回のテーマは、俵屋宗達の大画面作品である屏風絵・襖絵・杉戸絵の制作時期がいつで制作意図は何なのかということ。山根有三説などと比較しながら検討する。

宗達が法橋に叙位された時期。山根有三は寛永元年(1624)頃(養源院再建のあと)、水尾比呂志は元和元年(1615)前後(嵯峨本料紙の評価)、山川武は元和八年(1622)(養源院再建のあと)、林進は寛永七年(1630)(本朝文粋刊行後)。水尾と林では15年の開きがある。

大画面作品の制作時期を山根有三と林進の説で比較する(講師参考資料を元に管理人が作成)
宗達大画面制作時期

林進説は山根有三が骨子をつくり、受け継がれている宗達研究をいわばちゃぶ台返しするものである(本人談)。山根説は絵の様式を強く意識している。

  • 養源院は淀君が父浅井長政ら浅井一族の菩提を弔うため長政二十一回忌に当たる文禄三年(1594)に豊臣秀吉に頼んで建立、長政の法号養源院を寺号とした。元和元年(1619)に火災により焼失したが同七年、淀君の妹、徳川秀忠夫人(江、崇源院)により再興された。養源院に現存する宗達の襖絵・杉戸絵は宗達研究で最重要なものである。
  • 養源院本堂第五室(室中の間)は襖絵「松岩図」が取り囲むという特異な構成になっている。金地の画面いっぱいに地を這うような松の巨樹を描き、それに呼応する大小の岩を配置する。狩野派のような金碧障壁画と違って、空間の奥行きを表す遠山や池水、金運や土坡のモティーフはない。狩野派は金箔の奥にいろいろ描いて奥行きを表現するが、宗達は金箔の奥に何も描かない。遠景を描かないことで、むしろ手前にあるものを表現する。それは能舞台のように、現実的でないもの、法要を行う場所である室中に永遠性への祈りを込めた。「松岩図」は、潮が引いた浜辺・洲浜を表したもの、つまり宗達が繰り返し描いた無常観がモティーフである。
  • 養源院本堂南廂(西側)の杉戸絵「唐獅子図」二枚のうち左が正面を向くというあまりみられない構図だが、東大寺の金銅八角大燈籠の火袋に見る半肉彫の唐獅子の姿に通じるものがある。これらの裏面の「立つ波に水犀図」は従来麒麟といわれてきたが、水に棲む霊獣の水犀である。南廂(東側)の杉戸絵「白象図」「唐獅子図」も含めて、それぞれ二頭が円環する動きを見せており、これは二曲一双の屏風絵の構図を意識したもので、「風神雷神図屏風」と共通する。「唐獅子」は邪悪なものを防ぐもの、「水犀」は火除け、「白象」は仏をお守りする霊獣を表しており、どれも隙間なく画面いっぱいに描いて、災難や火を通さないことを示している。
  • 山根有三は、養源院再興に際して本堂襖絵を狩野派の絵師が担当したが、何らかの理由で完成に至らず、崇源院と関係があった呉服屋の雁金屋尾形宗柏の推薦により、本阿弥光悦と関係があった宗達が襖絵の制作を行うことになり、この功績により法橋が叙位されたと推察した。
  • 私は、養源院の襖絵と杉戸絵の造形的特徴は寛永十年頃に描かれた増田家本「伊勢物語図色紙」や「風神雷神図屏風」のそれと共通すると考える。崇源院七回忌の寛永九年には東福門院の要請により祖父浅井長政に従二位権中納言が追贈されており、養源院(長政)の追善として東福門院が改めて宗達に襖絵制作を命じたのではないだろうか。

    俵屋宗達_唐獅子図俵屋宗達_立つ波に水犀図俵屋宗達_白象図
今回は養源院再興と襖絵と杉戸絵の制作に迫った。東福門院が浅井長政を追善する目的で宗達に制作を依頼、そのことによって制作年が導かれるという論旨であった。次回の講座最終回、「風神雷神図屏風」と「伊勢物語図色紙」との関係においてさらに深められるのか、期待したい。

なんと、講座に参加して養源院絵葉書セットまでお土産にいただいてしまった。ありがたいことです。養源院は三十三間堂の東向いにあって、宗達の襖絵と杉戸絵が常時公開されているそうなので、三十三間堂観光のついでに訪れてみてはいかがでしょう。

2014.02.23 Sunday

宗達を検証する(8)「楊梅図屏風」の様式と主題

連続講座「宗達を検証する」第8回 講師:林進
紙本金地著色「楊梅(やまもも)図屏風」(個人蔵)の様式と主題 ―「一条兼遐(かねとお)書状[後水尾院勘返状]」に言う「楊梅之屏風」との関係―
1月18日 於:Bunkamura B1特設会場

まとめもせずにぼやぼやしているうちに次の第9回が終わってしまったので、もう忘却の彼方へと去ってしまったけども、テキストを頼りに第8回をどうにかやっつけたいと思います。
俵屋宗達_楊梅図屏風

  • 1998年に現れた「花木図屏風」。1939年に上野の日本美術協会で開かれた「東洋古美術展観」で彩色「流ニ秋草図屏風」として公開された作品。1999年から12年かけて修復された。現在個人蔵。
  • 落款・印章、書付もないが、白波を立てて流れる渓川の水の技法や筆法は宗達のものだ。楊梅の実の表現が印象深く、何か特別な意味があると考え、『楊梅図屏風』と名付けることにした。
  • 「醍醐家文書」の一通、「御せん丸宛 一条兼遐書状(後水尾院勘返状)」は次のようなもの。簡単に言うと「宗達がわたし(一条兼遐)に、屏風三双に下絵を描きつけ終えた、三双のうち『楊梅之図』はいち早く金箔を置き終えた、と言ってきた」という内容。
  • 屏風三双は、寛永7年の法橋叙位の返礼として三御所(明正天皇、後水尾院、東福門院)に進上するもので、このうち後水尾院から兼題として与えられたのが「楊梅之屏風」だったと考察する。狩野山雪が法橋叙位の御礼として、四御所に屏風四双を進上しているのと同様のケースと考えられる。御所からの注文のため落款等がない。
  • 「楊梅図屏風」の下地処理は「槇檜図屏風」(石川県立美術館蔵)と同じ、川波の均一で伸びやかな水墨線は「松島図屏風」(フリーア美術館蔵)の海波と同じ線質、なだらかな曲線の緑青土坡は「源氏物語図屏風・関屋図」(静嘉堂文庫美術館蔵)と同じ形。
  • 朝廷は素庵校訂古活字本『本朝文粋』を野野村知求(宗達の学者名か)が出版した功績に対する褒賞として1630年春に宗達に法橋を叙位したと考える。慣例となっている叙位への返礼は、中和門院の崩御と明正天皇の即位などの事情があって遅れたようだが、後水尾院は仙洞御所進上の屏風一双に自ら選んだ画題「楊梅」を金箔地に描くことを命じた。
  • 後水尾院は、亡き母、中和門院の好物であった楊梅の実を手向けの果実として追善するために、楊梅の兼題を宗達に与えたのではないだろうか。長く棚引く「紫(銀)の雲」は皇后の異称であり、弔いの意味がある。これを受けて宗達は、楊梅のモティーフを趣向(横筋)とし、直前に模写した海田采女本『西行法師行状絵詞』を「時代」(縦筋)として構想したのではないか。第一巻第一段に描かれた鳥羽殿の場面、第一番目の障子絵をみて西行が「初春の雪積りたる山の麓に谷河の流れたる所を見て」と詠んだ、その障子絵を再び屏風絵として絵画化したものである。
  • 1939年の「東洋古美術展観」では彩色「流ニ秋草図屏風」とともに「雑木林図屏風」が展示され、同図録に二つの屏風が同じページに単色図版で掲載された。この「雑木林図屏風」は、宗達工房作「樹林図屏風」(フリーア美術館蔵)等と構図が共通することから、「楊梅図屏風」の対として描かれた宗達作品と考える。名付けるとしたら「花橘図屏風」となる。
  • 〔第9回での補足〕「花橘図屏風」では、西行が詠んだ「聞かずとも此処を瀬にせむ郭公 山田の原の杉の群立ち」を構図したものに、郭公(ホトトギス)と取り合わされて詠まれてきた白い花橘を描き入れた。
  • 宗達の出身地について。野野村知求、江村知求などの名前から考えて、近江国(江州)野洲群野村、つまり近江八幡ではないかと想像している。堀杏庵も同じ出身地。

今回の重要点。寛永6年(1929)に角倉素庵校・野野村知求(宗達か)刻の古活字版『本朝文粋』が刊行され、翌年に尾張初代藩主徳川義直に進上、禁裏、公家等に献上され、この功績により同年、法橋が叙位されたと推測していることである。そして、その御礼として三御所に進上された三双のうち、後水尾院に進上されたのが「楊梅図屏風」であり、その対をなすのが「花橘図屏風」(旧「雑木林図屏風」)であったという見方である。
この一連の考え方は宗達作品の制作時期にかかわるので、非常に重要な指摘である。それについては第9回で。

2014.02.05 Wednesday

日本美術の祭典@トーハク&トビカン

上野の東京国立博物館と東京都美術館で開かれている「日本美術の祭典」に行ってきました。同時期に日本美術の特別展を開いているトーハクとトビカンのコラボ企画(ポストカードがもらえるスタンプラリーやってます!)

日本美術の祭典

クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美(東京国立博物館平成館)2014.1.1-2.23
人間国宝展 生み出された美、伝えゆくわざ(東京国立博物館平成館)2014.1.15-2.23
日本美術院再興100年 特別展 世紀の日本画(東京都美術館)2014.1.25-4.1

3展共通特別先行前売券(会場で上記画像のチケットに引き換え)を手に入れていたので、たいへんお得にみることができました(こういう情報を日々発信されている方々にあらためて感謝!)。


「クリーブランド美術館展」では雪村周継《龍虎図屏風》、渡辺始興《燕子花図屏風》、深江蘆州《蔦の細道図屏風》なんかが好みだったが、全体としての印象は意外にあっさりしていたかも。
渡辺始興_燕子花図屏風

「人間国宝展」では伝統的な工芸品と現代の巨匠たちによる工芸品が数々並んでいて壮観だった。好きな人には堪らないだろうなあ(タイミングによるかもしれないが、クリーブランドより人気があるのでは、と思えるほどの入りだった)。

「世紀の日本画」は日本美術院再興100年を記念した特別展で、前期と後期で作品がざっくりと入れ替わるようだ。個人的には小林古径祭りを開催、安田靫彦の作品ともども堪能。
小林古径《阿弥陀堂》の幽玄な佇まいには身震いさせられ、《竹取物語》の凄みすら感じさせる想像力と構成力に溢れた6つの場面にただただ感激した。この《竹取物語》に魅了されたのなら、ぜひ高畑勲監督「かぐや姫の物語」をぜひご覧あれ(こちらはまさに動く日本美術です)。
小林古径《楊貴妃》と安田靫彦《飛鳥の春の額田王》の並びにも参った。どちらも美術本で繰り返し眺めてきた作品で、まさか並んでいるとは想像もしていなかったので、みた瞬間、瞳孔が最大限に拡張していたと思う。古径の剃刀のような切れ味の線と構図、靫彦のもう少し穏やかな線と構成を、並べてじっくりみられたのは、ほんとうに幸せだった。どちらも美しい線で定評のあるところだけど、なるほどと思うような違いも感じられた。
このふたりの作品だけでなく、小倉遊亀《径》をはじめ、近代日本美術の名品をよくぞここまで集めてくれたと言いたくなるような見事な作品ばかりで、圧巻だった。トーハクの2展と比べるとずいぶんと空いていたのがとても残念だった。
今年いくつの展覧会に行けるかわからないけど、ベスト展覧会の1つに入ってくること間違いなし。後期も楽しみだ。
安田靫彦_飛鳥の春の額田王 小倉遊亀_径

2014.01.05 Sunday

シャヴァンヌ展@Bunkamura

Bunkamura ザ・ミュージアム「シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界」 2014.1.2-3.9

シャヴァンヌ展
まさか日本でシャヴァンヌ展がみられるなんて、想像したこともなかったので、この展覧会の開催を知ったときには驚いた。シャヴァンヌの名前を初めて意識したのは、国立西洋美術館所蔵《貧しき漁夫》だったと思う。その後、フランスの多くの公共施設でいくつもの壁画を手がけ、<19世紀最大の壁画家>とも称されることを知った。

シャヴァンヌに感じる魅力は、荒々しさのない静かで牧歌的ともいえる、神話的な情景を、フレスコ画に例えられる抑えた色味で描いていることである。とくにフランスを戦乱や内乱が襲った時代を背景に、叙情的な理想郷を描くことで、平和への祈りを込めた。

男性女性問わず多く描かれた裸体はギリシャ彫刻を思わせるものが多く、古典的とも言われる。しかし、そこに描かれている情景は幻想的で寓意に満ち、独特の平面性をもつ。そのあたりが象徴主義の先駆けともいわれる所以なのかとも感じる。

シャヴァンヌ_秋
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《秋》

シャヴァンヌ_海辺の乙女たち
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《海辺の乙女たち》

壁画の縮小版がたくさんあって、そういう仕事をしているから、壁画家でもあるシャヴァンヌの画業を極東の島国でもみられるのだなあ、なんて感謝したり。リヨン美術館の壁画はぜひみにいきたいものだ。

《瞑想(習作)》《秋》がとても気に入った。デッサンや習作、未完成作に惹かれるからかもしれないし、余白が好きなのかとも思う。《聖人のフリーズ》もすばらしくて、これはリズムがいいからなのか、単純にこうした構図が好きなのか、心地よさを感じる。

静かな絵を静かな心持ちでみて、穏やかな気持ちになる。そんな、すばらしい展覧会だった。こういう企画がもっと実現されるとうれしい。


2014.01.04 Saturday

博物館に初もうで@トーハク

2日に出かけるつもりがちょっと遅くなってしまったので、翌日あらためて東京国立博物館「博物館に初もうで」に行ってきました。

せっかく上野に来たので、まずは東照宮に初詣。
東照宮
黒に金ってほんとうにきれいだ。思ったほど、というより人はあまりいなくて、いいところで初詣できました。

それからトーハクへ。
博物館に初もうで
チラシもらってくるの忘れたので、HPからお借りしました。

正面玄関ではちょうど獅子舞が始まるところ。人だかりができていたので、着物を着た相方と遠巻きに見ていたら、何かが盛大に撒かれ、そのひとつが手前の空間に落ちて、こちらへ転がってきました。拾ってみると小判、ラッキーでした。
トーハク小判
しばらく獅子舞をみてから本館に入ると、階段の上には正月らしい華やかな生け花が。
トーハク生け花

展示のほうは、やはり国宝室の長谷川等伯《松林図屏風》がお目当てでしたが、室内はとても混んでいて、全体像をゆっくりみることは残念ながらできませんでした。このほか、雪村周継《鷹山水図屏風》など、相変わらず、いいものがたくさんありました。

干支にあわせて、うまに関する絵画、工芸品などを集めた特別室に入ろうとしたら、カレンダーをもらえました。
トーハク2014カレンダー
同室に展示されている長谷川等伯《牧場図屏風》の部分がデザインされていました。とても雰囲気のある屏風でした。

こんな感じの2014年の初詣と初博物館、とりあえず記録まで。


2013.12.31 Tuesday

2013年の美術展ベスト3

みにいった展覧会がこれだけ少なくなって、果たしてベストを決めたりしてよいのだろうか、などと思わないでもないが、まあ一応恒例なので、やはりこれで締めくくらないと新たな年をむかえられないでしょう。なんて。

第1位 夏目漱石の美術世界展(東京藝術大学大学美術館)
夏目漱石の美術世界展
夏目漱石を軸に美術作品を集めるという企画がとてもおもしろいし、なにより展示そのものが楽しく刺激的に構成されていて、展覧会としての完成度が高かったと思う。ウォーターハウスの2点も来日していたし。

第2位 アントニオ・ロペス展(Bunkamura ザ・ミュージアム)
アントニオ・ロペス展アントニオ・ロペス展2
アントニオ・ロペスの名前しか知らなかったのにチラシで見た《マリアの肖像》に魅せられて展覧会に足を運び、この作家に触れた。そういう展覧会との幸運な出会いに感謝している。

第3位 和様の書(東京国立博物館平成館)
和様の書
書を自分がどれくらい楽しめるのだろうかと思いつつ出かけ、和様の書の美しさ、多様さ、そして個性に触れ、日本語の見た目の美しさにうっとり、眼福にあずかった。

次点 貴婦人と一角獣展(国立新美術館)
貴婦人と一角獣展
6枚の巨大なタピスリーが広くて高い空間を埋めているその景色だけでもう圧倒された。その展示空間にいる不思議な感覚こそが、この展覧会を何か得難いものにしてくれた。
カイユボット展と迷ったのですが。


みた展覧会は年々減っていくばかりで、みのがして悔いを残すこともしばしば。今年ちゃんと行けばよかったと思う展覧会のいちばんは京都展(東博)かな。
毎年同じことを書いているけど、後悔しないように来年はもっと展覧会に出かけたいものです。
ではみなさん、よいお年を。

2013.12.31 Tuesday

宗達を検証する(7)重要文化財「西行物語絵巻」の改変

連続講座「宗達を検証する」第7回 講師:林進
重要文化財「西行物語絵巻」(宗達模写、出光美術館)の改変 ―西行往生の場面における「無常」の表象について―
12月14日 於:Bunkamura B1特設会場

『西行物語絵巻』の写本や絵巻を比較しながら、宗達模写の絵巻について、講師曰く「重箱の隅をつつくように」読み解こうという試み。こうやって細かなところを解き明かしていく姿勢が美術史(に限らないだろうが)なのかと、とても興味深く拝聴したので、長くなってしまっていました。

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平安末鎌倉初期の歌人西行の発心、修行、往生を物語化した「西行物語」を絵画化したものが「西行物語絵」であり、写本、絵巻、版本が多数伝わる。
このうち「西行物語絵巻」は、文字でしるした詞書とそれに対応する絵をあわせて数巻の巻物に仕立てた作品。文章の内容によって三系統に分類される。
(1)広本系:物語量が最大のテキスト。出家後の西行がすぐに吉野、熊野、大峰をめぐる旅に出る話で始まる。
‘狙酥術館本と相国寺承天閣美術館本はもとは同じ四、五巻セットの絵巻のうちのそれぞれ一巻で、鎌倉時代(13世紀中頃)の制作と推定(詞書と絵の筆者不明)。
▲汽鵐肇蝓屡術館白描本は南北朝時代の制作と推定。
(2)略本系:出家後の西行がすぐに伊勢に赴く本。
.汽鵐肇蝓屡術館著色本は三巻本で、室町時代(15世紀頃)の制作と推定(詞書と絵の筆者不明)。
(3)采女本系:明応九年(1500年)に三条公敦が詞書を書き、梅田采女佑源相保が絵を描いた絵巻の系統。原本は伝わっておらず、近世の模本がある。
…天擴筏貘∨楔浚本
▲札鵐船絅蝓屡術館本四巻本
出光美術館本・宗達模写本四巻本
づ亙娉繁槝惨本

この出光美術館本は、制作年がわかる宗達の基準作のひとつということで重要。制作由来には、権大納言烏丸光広が越前福井藩主松平忠昌の家老の依頼により、禁裏御文庫に収蔵されている『西行法師行状之絵詞』四巻(采女本)を借りだして、模写本の制作を法橋宗達に命じた、とある。宗達の模写が完成した後、光広が染筆した。寛永七年(1630)のことである。
宗達模写本は松平忠昌から長州藩主毛利家に渡った。現在、四巻のうち第一巻、第二巻、第四巻は出光美術館に所蔵され、第三巻は断簡となって掛幅装に改装され、出光美術館ほかに分蔵されている。
い療亙娉繁椶蓮⊇|の模写と同時に許可を得て俵屋絵師によって模写された「手控え本」で、留めおく目的で素早く簡略に描いたものである。

…天擴筏貘∨椶鉢▲札鵐船絅蝓屡術館本(以下、セ美本)は原本を忠実に模写したものと推定され、づ亙娉繁椶盍蔑化されているものの、同様である。宗達筆の出光美術館本だけが異なる特徴をもっている。渡辺家本がのっぺりと薄いのに対して、宗達筆ははっきりとメリハリ、奥行き感があり、宗達画の特徴に一致する。

出光美術館本第四巻十二段「西行往生」では、原本からの明らかな改変がある。
もっとも重要なのは、西行が阿弥陀如来像に向かって合掌する東山双林寺の室内(阿弥陀堂)が、宗達筆ではすべて畳敷きであるのに対して、セ美本と渡辺家本では阿弥陀如来像が立つ部分が板敷きで、残りが畳となっていること、そして、左側の池のある庭に立つ二本の桜が、セ美本では散りかけた白い花、渡辺家本では花盛りの桜色となっているのに対して、宗達筆では葉桜になっていることだ。

西行物語絵巻
(講座テキストより)

宗達はなぜそのような改変をおこなったのだろう。
西行が葉桜の名残を詠んだ和歌一首「青葉さへ見れば心のとまるかな 散りにし花の名残りを思へば」に即して絵画化し、西行への追善の意を込め、西行の死を描かずに青葉への時間の推移を描いて無常観を表したのではないか。そして室内のほうは、阿弥陀堂ではなく庵室で往生の期を待つ西行のもとに阿弥陀如来が来迎し、畳の上にそっと座られた、と解釈できる。
庵室と庭を同じ時間で描いたのではなく、絵巻の伝統を応用して、右側の庵室の場面から左側の葉桜へと時間の経過を描いて、宗達なりの無常観を表現したのではないだろうか。

絵画の制作は依頼者に向かって行うこともあれば、この場面のように西行(あるいは西行の和歌)に対して描くこともあっただろう。ここで表現した無常観を果たして依頼者がわかっただろうか。

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模写はただ絵を写しとるだけでなく、物語に込められたさまざまなものに寄り添うことで、あらたな可能性がみえてくる、そんな解釈があるのかもしれない。そんなことをつらつらと考えさせられる講義だった。


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