2015.04.19 Sunday

燕子花と紅白梅@根津美

根津美術館に尾形光琳の《紅白梅図屏風》をみに行ってきました。

尾形光琳300年忌記念特別展「燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」
燕子花と紅白梅
2015年4月18日-5月17日

会期が短いのでぼやぼやしていると見逃してしまいそうだったので、初日に参上。
久しぶりの晴天そして爽やかな風ときどき強い風。美術品をみて庭を散策するには最高の日和。ただし、カキツバタの花はまだ咲いていない、そして檜やイネ科植物なのか、花粉が舞っているようで、美術館に着いたとたんにクシャミを連発するはめに。

いまだMOA美術館に足を運んだこともなく、《紅白梅図屏風》をみるのはまったくの初めて。しかも《燕子花図屏風》とともにみられるという絶好の機会が訪れたのだから、幸運です。

尾形光琳《紅白梅図屏風》
若々しい紅梅と老いた白梅が左右に配置され、まんなかにまるで蒔絵の壺のような流水が迫力ある姿で表現される。金箔のような背景は、《燕子花図屏風》 と同じように金泥で描かれている。図版や画像で何度となく眺めてきた屏風だが、実物は勝手に思い込んでいたものよりもずっと落ち着いていて、気品に満ちていた。
その他の展示品のキャプションにもあったが、光琳は俵屋宗達の作品に学ぶなかで、よりデザイン性とリズム感を高めていったようだ。その分、宗達がもつダイナミックな表現が抑えられているように思う。このへんが好みの分かれるところなのかもしれない。

伝俵屋宗達《蔦の細道図屏風》
単純なモチーフと構図で大きな空間を美しく描いていて、光琳とはまた違った宗達デザインの妙が感じられる。左隻と右隻を入れ替えてもつながるという発想が心憎い。たしかにこの屏風が《燕子花図屏風》に通じるというのも納得。

光琳のデザイン性を生み出した雁金屋の図案等の展示も、光琳を形作るもとがこういうところにあるのかと改めて感じさせてくれるものだった。

尾形光琳芸術の秘密をたどる展示、とてもすばらしいもので、とくにメインの展示室はまさにしあわせ空間でありました。

2015.03.21 Saturday

ボッティチェリとルネサンス

Bunkamura ザ・ミュージアムで「ボッティチェリとルネサンス――フィレンツェの富と美」をみた。
ボッティチェリとルネサンス展
渋谷ユーロスペースでアレクセイ・ゲルマン監督の映画「神々のたそがれ」を観てから、休憩を取って、展覧会へ。どちらも初日、どちらも大盛況なのには驚いた。
ボッティチェリら画家たちの工房とメディチ家などフィレンツェ金融業との関係から展覧会は構成される。
ボッティチェリをはじめとする画家たちの作品はどれもなかなか魅力的ではあったが、残念ながら、そのなかに、これはというほど琴線に触れるもの、これは好きだな、というものはなかった。
しいて挙げれば、ボッティチェリの大画面のフレスコ画《受胎告知》が印象的だった。ただ、画面構成がなにか物足りない気がした。

ポストカードを1枚くらい記念に買おうとショップに入ったが、ポストカード売場がせまく、なかなか見ることができないので、まあいいやという気になってしまった。これは改善してほしい。できれば2か所は設置してほしいな。
こういう感動成分がすり減っているヤツは置いといて、フィレンツェの芸術をぜひ自分の目で確かめてきてください。

2015.03.10 Tuesday

後悔

ホイッスラー展、行きそびれました。昨年、もっとも楽しみにしていた展覧会なのに。年末に行くつもりが開いていなくて、でも3月までやってるし、と思っているうちに・・・・・・なんてのはただの言い訳で。今となってはただがっかりしている。
このごろは映画ばかりみていて(だいたいがアニメだけど)、すっかり絵を観に行かなくなってしまった。たんに興味が移ってしまったというような単純なことではないように思うのだけど。
映画のほうは、すぐに上映が終わってしまうものが多いので、つい優先してしまう。
と、とりとめのないことを書きましたが、ホイッスラー展の二の舞いにならないように気をつけようという、それだけのことでした。

2014.12.31 Wednesday

振り返り2014

今年出かけた展覧会はほんとうに少なかった。理由はいくつかあるけど、それをひとまとめにすると、自分の気持ちがかなり低空飛行だった、ということかもしれない。大して何かがあったといわけではないが、楽しいこともたくさんあったものの、総じてイマイチな気分が時々顔を出した。
みた展覧会も少なければ、感想を記事にしたのはそれより少なかった。まあ、自分のなかではブログに感想を書くほどでもなくなってきたのだろう。というわけで、来年も気が向いたら記事を書くかもしれないし、まったく書かないかもしれない。でも、楽しみな展覧会がいくつも控えてるので、みに行きたいとは思っている。

とにかく2015年には、すこしはっきりした目標を立てて、気分を上げていこうかな。
こんな開店休業ブログを不運にも覗いてしまったみなさん、よいお年をお迎えください。



2014.10.13 Monday

ホドラー展@西美

国立西洋美術館で開催中の「フェルディナント・ホドラー展」にきのう行ってきました。3連休の中日の日曜日で、上野公園はたいそうなにぎわい。でも、美術館は空いていました。まだ始まったばかり、これからきっと増えていくでしょう。

ホドラー展
2014.10.7-2015.1.12

スイスの国民的画家、ホドラー。あまり知らないのに、なぜかどうしても観たかったのです。全体的な感想となると、ポスト印象派っぽかったり、象徴主義っぽかったりと、感じる部分もありましたが、やはり《オイリュトミー》などに表れていた、リズミカルな構成、死の匂い、身体表現、装飾性などが、大きな特徴といえるでしょう。舞踊や音楽が感情表現と深くつながっているようです。

ホドラー_オイリュトミー
フェルディナント・ホドラー《オイリュトミー》1895年

《オイリュトミー》はとても気に入りましたが、それ以外では壁画装飾でしょうか。いくつか壁画が紹介されていましたが、このうち、映像が流されていた《マリニャーノからの退却》(スイス国立博物館)に惹かれました。せめて大きな画像だけでも観たいものです。
いろいろな側面を見せる作家の作品のうち、自分が気に入ったものを思い返してみると、あらためて好みがはっきりわかって、納得でした。

スイスの山など、風景画もたくさんありましたが、これらも写実よりは調和と装飾性に重きを置いたような配置がそこかしこにみられます。

ホドラーといえば、世紀末芸術や幻想美術のくくりで取り上げられる《夜》が有名。死の影に怯える男と、眠る人たちを平行に配置するあたりが、ホドラーらしくて、これもいつか観る機会があればいいのですが。


久しぶりに常設展も観ました。入れ替えで初めて観る作品が思いのほかたくさんあって、やはり企画展に併せて常設展ものぞいてみないといけないなとあらためて思いました。

2014.09.15 Monday

日本SF展☆SFの国@世田谷文学館

世田谷文学館「日本SF展☆SFの国」2014年」7月19日-9月28日
日本SF展☆SFの国

世田谷文学館は初めて。電車で行くのは面倒臭い気がしていたので、自転車でルートをみると近くまでは一本道で行けるので、しばらく乗ってないけど自転車にしようと決めて出かけた(その先の住宅地で時間をくってしまったが)。日射しがけっこうきつかったけど、爽やかだった。

まずもっとも歴史のある「S-Fマガジン」がずらりと並んで、「SFアドベンチャー」や「奇想天外」もいくつか。高校生のころはこれらの雑誌を全部買って読んでいたので、もはや歴史になったと思うと、引っ越しのときにほぼすべて処分したことが悔やまれる。

真鍋博、武部本一郎らのイラスト、小松左京、星新一、筒井康隆、手塚治虫らの生原稿など、貴重なものがたくさん。これは何かの嫌がらせかと思うほど小さな字で書かれた星新一の草稿は誰もが失笑するレベル。

独自の発展をとげ、メディアミックス度の高い日本SF。日本はまさにSFの国だ。幅広い年代の来場者が思い思いの興味で眺めている姿がとても微笑ましかった。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のオリジナルポストカードは売り切れで残念だったが、図録と豆本を買って満足だった。

2014.08.14 Thursday

オルセー美術館展2014@新美

国立新美術館「オルセー美術館展 印象派の誕生−描くことの自由−」に行ってきました。
オルセー美術館展2014

よくやるなーオルセー展、って感じがしないでもないけど、自分がみた過去の展覧会を振り返ってみると、それぞれ特徴があって全然同じ様子ではなかった。さすが、もっている美術館は違います。とくに、同じ新美での前回のオルセー美術館展2010ではポスト印象派に焦点があてられていたのに対して、今回は印象派が中心。

過去記事はこちら。
ついでにオルセー美術館を訪ねたときの記事も。

さて、今回のお目当てはこちら。
ホイットニー_灰色と黒のアレンジメント第1番
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー《灰色と黒のアレンジメント第1番》
一度みてみたいと願っていた作品だからか、あれ、これどこかでみたことなかったっけ、となったが、実物をみるのは初めて。
健康状態がおもわしくない母の肖像。凛とした佇まいに母への敬愛がうかがえる。タイトルから絵画を自律的に構成しようとする姿勢がうかがえるようだが、静かでやや張り詰めたピアノの音が浮かんできた。
もうすぐ開かれるホイッスラー展がますます楽しみになってきた。

このほかでは、ギュスターヴ・カイユボット《床に鉋をかける人々》エドゥアール・マネ《ロシュフォールの逃亡》などが印象に残った。
また行きたくなったな、オルセー美術館。


ブログに記事を書くのはもうやめようくらいの気持ちでいたので、前回記事からいくつかの展覧会の記事を書いていなかったが、気が向いたので書いてしまった。もしかしたら、これからもそんな感じで続けていくかもしれないな(なかみがある内容にならないのは確実ですが)。

2014.04.29 Tuesday

栄西と建仁寺@トーハク

東京国立博物館平成館 開山・栄西禅師800年遠忌特別展「栄西と建仁寺」
2014年3月25日−5月18日

 栄西と建仁寺展
もちろんお目当ては5年ぶりに公開された俵屋宗達《風神雷神図屏風》。これが宗達の最高傑作かどうかについてはそれぞれ捉え方は違うだろうが、少なくとも自分にとっては誰がなんといおうと、宗達の最高傑作であり、もっとも好きな絵画である。

俵屋宗達_風神雷神図屏風
久しぶりにみた感想は、前回とそれほど変わっていない。が、あらためてじっくり眺めると、空間が画面の外にまで大きく広がっているようにみえ、その広大な天上を自由自在に飛び回っている様がみえてきた。そして、林進氏の連続講座を聴いたせいもあるが、笑っているような表情のなかに、どこかしら寂しげな部分が感じられ、宗達らしい無常観がここにも込められているのではないかと思った。
ちょうど本館で同時に公開されていた、この風神雷神をトレースしたとされる尾形光琳のそれは空間の拡がりが感じられない窮屈な構図で、これは宗達が描いた風神雷神図屏風とはまったく別ものなのだと感じた。

林進氏は宗達は狩野派出身と考え、例えばこの屏風の金箔押しの技法が狩野山楽の技法と同じだと主張している。狩野山楽の作品もあったので、意識して比べてみたが、似ているように思ったものの、もちろん、素人にわかろうはずもなく。
林進氏のほか、安村敏信など、山根有三氏の研究とは違う見方をする研究者たちが宗達や風神雷神図屏風に新たな光を当てているなかでの今回の公開、みどころは多い。

風神雷神図屏風さえみられれば満足なのだが、この最後の展示にたどり着くまでに、意外にいろいろとみてしまって、時間がかかってしまった。海北友松《雲竜図》など、いいものがほかにもたくさんあったので、たいへん充実した展示だった。
混雑する本館での特別展「キトラ古墳壁画」の行列に並ぶのは、まだましな閉館間際とし、それまでこの特別展でゆったりと過ごしてみてはいかがでしょう。

伊藤若冲_拾得および鶏図  伊藤若冲_雪梅雄鶏図
伊藤若冲:左《拾得および鶏図》《雪梅雄鶏図》



2014.03.25 Tuesday

宗達を検証する(10)風神雷神図屏風と伊勢物語図色紙の成立

連続講座「宗達を検証する」第10回 講師:林進
国宝「風神雷神図屏風」と増田家旧蔵「伊勢物語図色紙」(全36図)の成立 ―その制作年と制作意図に共通するものとはー
3月22日 於:Bunkamura B1特設会場

この連続講座もいよいよ最終回となり、管理人もどうにか休むことなく、この知的興奮に満ちた楽しい講座を堪能しました。

今回のテーマは「風神雷神図屏風」。これがいつ、どういう目的で制作されたのかを、制作年がある程度推定できる「伊勢物語図色紙」との共通点を探ることで解き明かそうとする試み。

  • 宗達の出自と社会的基盤については、京の上層町衆出身の絵師とする説と、六原の絵師とする説がある。前者は論拠とする「妙持宛 千少庵書状」にある「俵屋宗達」が絵師である確証が得られていない。後者は「宗舟・平次宛 角倉素庵書状」に「六原ノ絵かき」とあり、素庵と関係する町絵師が実在したことを論拠としているが、それが宗達であるかは不明である。が、後者の説に基づくことで、宗達の実像の一端を掴むことができると考える。
  • 宗達にとってのターニングポイントは、角倉素庵が癩(ハンセン病)を患い隠棲したことである。当時、癩者は、乞食として放浪の旅に出るか、東山・清水坂の非人宿に入って物乞いの生活を送るかの選択しかなかったが、素庵の場合は息子たちや周囲のはからいで嵯峨千光寺跡地に隠棲して静かな学究生活を送ることができた。
  • 宗達は素庵が校訂した『本朝文粋』の出版で恩に報いようとした。癩者に直接関わることは世間の掟に背くことであり、おそらく宗達はそれを機に絵筆を置くことを決意していた。しかしこの出版によって法橋に叙位され、絵の進上を余儀なくされ、更なる注文が入り、絵師を辞めることができなくなった。宗達は東福門院に依頼された養源院本堂の襖絵と杉戸絵を描き終えて寛永十年に絵筆を置いた。
  • 俵屋で制作された「伊勢物語図色紙」は宗達芸術の集大成の一つ。三十六図からなる益田孝旧蔵「伊勢物語図色紙」画帖(益田家本)は、俵屋工房で制作された他の同色紙群より先駆けて作られた作品で、宗達が『伊勢物語』から三十一段の章段を選んで、構図を考え、下絵を付け、工房の絵師の協力を得て制作した。一般に「伝宗達筆」とされているが、「宗達筆」とすべきである。
  • 山根有三氏は同色紙の第三十九段「女車の蛍」を掛け軸に改装する際に古い裏打紙に「高松様」と書かれた紙片を発見し、詞書の染筆者を示す裏書であることを突き止めた。その他の段も含めた裏書の研究から、色紙絵の制作が寛永十年夏までには終わっていたと考えられる。また、行方不明になり再発見された「女車の蛍」が再び改装された際には、宗達自筆の指示書が発見され、それは宗達が配下の者に主要モティーフを正確に描くことを求めたものと解釈される指示であった。この指示書の筆跡は「快庵宛 宗達書状」の筆跡と共通しており、この宗達書状が絵師宗達のものであることが確認された(快庵は素庵の親戚で医師の吉田快庵)。
  • 江戸時代初期から二曲一双屏風が好まれるようになり、宗達筆「舞楽図屏風」と「風神雷神図屏風」はその代表作。「風神雷神図屏風」は、風神と雷神を一双の両端上部に配置し、中央ニ扇はほぼ金地の虚空として広い空間を感じさせる。風神と雷神を水平視で描くことで親しみのある人間的な鬼神を感じさせる。たらし込み、太い輪郭線描写など、宗達の特徴が表れている(三寸金箔押しの手法は狩野山楽と同じであり、宗達はやはり狩野派であったろうと思う)。山根有三氏は、高らかに笑う雷神の姿に、最後の画境に到達した宗達の姿を見たが、近づいてみると、寂しげで、泣いているようにも見え、複雑な表情をしている。
  • 「風神雷神図屏風」の構図の特異性は、中央ニ扇にニ神の身体がまったく描かれていないこと、雷神が人間の表情に似ていること、風神が深い皺や白い眉毛など老人の顔貌であること、本来三本指の手、二本指の足である雷神をどちらも五本指で描いて神ではなく人間にしていること、赤色の肉身であるはずの雷神が白色であること、など。
  • 宗達はどんな意味を「風神雷神図屏風」に込めたのか、雷神の「鉢巻」、「白色の肉体」、「ふんわりと軽やかな黒雲」から深意を探ってみたい。鉢巻は、菅原道真が雷神と化す謡曲『雷電』の装束の鉢巻を表し、黒雲は、同じくこの謡曲から、雷神が虚空に上ったときに乗った黒雲を描いたと考える。そして、白色には、白癩(皮膚が白くなる癩を当時そう呼んだ)を患い失明してなくなった素庵を重ね、自らも風神となって雷神に寄り添った。素庵は寛永九年六月二十二日に没しており、この屏風は翌年の夏までに、素庵の追善・鎮魂のために描かれたであろう。「耕作図屏風」や養源院の杉戸絵との共通点からも、これらが同時期の制作であると考える。
  • 「風神雷神図屏風」は、清水寺の火事で焼失した風神像・雷神像が宗達を刺激し、宗達は素庵の一周忌のために制作したと考える。誰かが発注したわけでもなく、自分のために描いて手元に置いたため、落款印章は必要なかった。その後、江戸時代後期に俵屋・野野村家から近隣の臨済宗建仁寺に寄進されたと思われる。

十回の連続講座もこれにて終了。毎回時間オーバーで最後は慌ただしく終わってしまうような濃密な時間だった。先生もお疲れになったと思うが、聴くほうも頭の整理が追いつかなくて大変だった。そんなわけで、言い訳になるが、毎回テキストをなぞるようなまとめになってしまった、というよりまとめになっていない。なので、少しは自分の言葉でまとめたいと思うので、全体の簡単なまとめをまた後でやろうと思っている(実現できるかどうかわかりませんが)。

最後に、この講座の参加希望者が定員よりずっと多かったそうで、参加できなかった方のためにも、ウェブ上で講座のまとめをすることになったというお知らせがありました。しかも、講座でできなかった内容も追加されるとか。4月から順次アップしていくようなので、みなさんお楽しみに(そうなるとこのブログの記事はこっそり削除してしまったほうがいいかもしれない)。
また、将来的には出版も考えておられるようなので、これも楽しみに待つとしよう。

2014.03.21 Friday

ラファエル前派展@森ACG

森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展」をみた。

ラファエル前派展
全般的に単純に好きだと感じる作品が揃っていてずっと幸せな気分に浸っていられたが、ラファエル前派兄弟団の短い活動期間のなかでも変化があることがわかる展示になっていて、興味深かった。

今回とくに楽しみにしていたのが、ロセッティ《見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)》だった。解説は専門家に譲るとして、縦長の画面に白を基調に赤、青、金を配置した、清浄な雰囲気が美しくて、なんども戻って眺めた。これが受胎告知とは斬新だが、狭い部屋にロセッティの妹と弟がモデルというふたりの姿がとても身近に感じられる。
アーサー・ヒューズ《聖アグネス祭前夜》もよかったし、ミレイ《オフィーリア》前回みたときよりずっと魅力的だった。それとバーン=ジョーンズはやはり好きだ。どれも物語があるから余計に惹かれるのかもしれない。

人物紹介や人物相関図のパネル展示を読むと、かれらのエネルギーの源に恋愛関係があったのだろうと思わずにはいられなかった。

ロセッティ_受胎告知 ミレイ_オフィーリア バーン=ジョーンズ_愛の神殿


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