2017.01.23 Monday

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2015.03.10 Tuesday

後悔

ホイッスラー展、行きそびれました。昨年、もっとも楽しみにしていた展覧会なのに。年末に行くつもりが開いていなくて、でも3月までやってるし、と思っているうちに・・・・・・なんてのはただの言い訳で。今となってはただがっかりしている。
このごろは映画ばかりみていて(だいたいがアニメだけど)、すっかり絵を観に行かなくなってしまった。たんに興味が移ってしまったというような単純なことではないように思うのだけど。
映画のほうは、すぐに上映が終わってしまうものが多いので、つい優先してしまう。
と、とりとめのないことを書きましたが、ホイッスラー展の二の舞いにならないように気をつけようという、それだけのことでした。

2014.12.31 Wednesday

振り返り2014

今年出かけた展覧会はほんとうに少なかった。理由はいくつかあるけど、それをひとまとめにすると、自分の気持ちがかなり低空飛行だった、ということかもしれない。大して何かがあったといわけではないが、楽しいこともたくさんあったものの、総じてイマイチな気分が時々顔を出した。
みた展覧会も少なければ、感想を記事にしたのはそれより少なかった。まあ、自分のなかではブログに感想を書くほどでもなくなってきたのだろう。というわけで、来年も気が向いたら記事を書くかもしれないし、まったく書かないかもしれない。でも、楽しみな展覧会がいくつも控えてるので、みに行きたいとは思っている。

とにかく2015年には、すこしはっきりした目標を立てて、気分を上げていこうかな。
こんな開店休業ブログを不運にも覗いてしまったみなさん、よいお年をお迎えください。



2014.10.13 Monday

ホドラー展@西美

国立西洋美術館で開催中の「フェルディナント・ホドラー展」にきのう行ってきました。3連休の中日の日曜日で、上野公園はたいそうなにぎわい。でも、美術館は空いていました。まだ始まったばかり、これからきっと増えていくでしょう。

ホドラー展
2014.10.7-2015.1.12

スイスの国民的画家、ホドラー。あまり知らないのに、なぜかどうしても観たかったのです。全体的な感想となると、ポスト印象派っぽかったり、象徴主義っぽかったりと、感じる部分もありましたが、やはり《オイリュトミー》などに表れていた、リズミカルな構成、死の匂い、身体表現、装飾性などが、大きな特徴といえるでしょう。舞踊や音楽が感情表現と深くつながっているようです。

ホドラー_オイリュトミー
フェルディナント・ホドラー《オイリュトミー》1895年

《オイリュトミー》はとても気に入りましたが、それ以外では壁画装飾でしょうか。いくつか壁画が紹介されていましたが、このうち、映像が流されていた《マリニャーノからの退却》(スイス国立博物館)に惹かれました。せめて大きな画像だけでも観たいものです。
いろいろな側面を見せる作家の作品のうち、自分が気に入ったものを思い返してみると、あらためて好みがはっきりわかって、納得でした。

スイスの山など、風景画もたくさんありましたが、これらも写実よりは調和と装飾性に重きを置いたような配置がそこかしこにみられます。

ホドラーといえば、世紀末芸術や幻想美術のくくりで取り上げられる《夜》が有名。死の影に怯える男と、眠る人たちを平行に配置するあたりが、ホドラーらしくて、これもいつか観る機会があればいいのですが。


久しぶりに常設展も観ました。入れ替えで初めて観る作品が思いのほかたくさんあって、やはり企画展に併せて常設展ものぞいてみないといけないなとあらためて思いました。

2014.09.15 Monday

日本SF展☆SFの国@世田谷文学館

世田谷文学館「日本SF展☆SFの国」2014年」7月19日-9月28日
日本SF展☆SFの国

世田谷文学館は初めて。電車で行くのは面倒臭い気がしていたので、自転車でルートをみると近くまでは一本道で行けるので、しばらく乗ってないけど自転車にしようと決めて出かけた(その先の住宅地で時間をくってしまったが)。日射しがけっこうきつかったけど、爽やかだった。

まずもっとも歴史のある「S-Fマガジン」がずらりと並んで、「SFアドベンチャー」や「奇想天外」もいくつか。高校生のころはこれらの雑誌を全部買って読んでいたので、もはや歴史になったと思うと、引っ越しのときにほぼすべて処分したことが悔やまれる。

真鍋博、武部本一郎らのイラスト、小松左京、星新一、筒井康隆、手塚治虫らの生原稿など、貴重なものがたくさん。これは何かの嫌がらせかと思うほど小さな字で書かれた星新一の草稿は誰もが失笑するレベル。

独自の発展をとげ、メディアミックス度の高い日本SF。日本はまさにSFの国だ。幅広い年代の来場者が思い思いの興味で眺めている姿がとても微笑ましかった。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のオリジナルポストカードは売り切れで残念だったが、図録と豆本を買って満足だった。

2014.08.14 Thursday

オルセー美術館展2014@新美

国立新美術館「オルセー美術館展 印象派の誕生−描くことの自由−」に行ってきました。
オルセー美術館展2014

よくやるなーオルセー展、って感じがしないでもないけど、自分がみた過去の展覧会を振り返ってみると、それぞれ特徴があって全然同じ様子ではなかった。さすが、もっている美術館は違います。とくに、同じ新美での前回のオルセー美術館展2010ではポスト印象派に焦点があてられていたのに対して、今回は印象派が中心。

過去記事はこちら。
ついでにオルセー美術館を訪ねたときの記事も。

さて、今回のお目当てはこちら。
ホイットニー_灰色と黒のアレンジメント第1番
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー《灰色と黒のアレンジメント第1番》
一度みてみたいと願っていた作品だからか、あれ、これどこかでみたことなかったっけ、となったが、実物をみるのは初めて。
健康状態がおもわしくない母の肖像。凛とした佇まいに母への敬愛がうかがえる。タイトルから絵画を自律的に構成しようとする姿勢がうかがえるようだが、静かでやや張り詰めたピアノの音が浮かんできた。
もうすぐ開かれるホイッスラー展がますます楽しみになってきた。

このほかでは、ギュスターヴ・カイユボット《床に鉋をかける人々》エドゥアール・マネ《ロシュフォールの逃亡》などが印象に残った。
また行きたくなったな、オルセー美術館。


ブログに記事を書くのはもうやめようくらいの気持ちでいたので、前回記事からいくつかの展覧会の記事を書いていなかったが、気が向いたので書いてしまった。もしかしたら、これからもそんな感じで続けていくかもしれないな(なかみがある内容にならないのは確実ですが)。

2014.04.29 Tuesday

栄西と建仁寺@トーハク

東京国立博物館平成館 開山・栄西禅師800年遠忌特別展「栄西と建仁寺」
2014年3月25日−5月18日

 栄西と建仁寺展
もちろんお目当ては5年ぶりに公開された俵屋宗達《風神雷神図屏風》。これが宗達の最高傑作かどうかについてはそれぞれ捉え方は違うだろうが、少なくとも自分にとっては誰がなんといおうと、宗達の最高傑作であり、もっとも好きな絵画である。

俵屋宗達_風神雷神図屏風
久しぶりにみた感想は、前回とそれほど変わっていない。が、あらためてじっくり眺めると、空間が画面の外にまで大きく広がっているようにみえ、その広大な天上を自由自在に飛び回っている様がみえてきた。そして、林進氏の連続講座を聴いたせいもあるが、笑っているような表情のなかに、どこかしら寂しげな部分が感じられ、宗達らしい無常観がここにも込められているのではないかと思った。
ちょうど本館で同時に公開されていた、この風神雷神をトレースしたとされる尾形光琳のそれは空間の拡がりが感じられない窮屈な構図で、これは宗達が描いた風神雷神図屏風とはまったく別ものなのだと感じた。

林進氏は宗達は狩野派出身と考え、例えばこの屏風の金箔押しの技法が狩野山楽の技法と同じだと主張している。狩野山楽の作品もあったので、意識して比べてみたが、似ているように思ったものの、もちろん、素人にわかろうはずもなく。
林進氏のほか、安村敏信など、山根有三氏の研究とは違う見方をする研究者たちが宗達や風神雷神図屏風に新たな光を当てているなかでの今回の公開、みどころは多い。

風神雷神図屏風さえみられれば満足なのだが、この最後の展示にたどり着くまでに、意外にいろいろとみてしまって、時間がかかってしまった。海北友松《雲竜図》など、いいものがほかにもたくさんあったので、たいへん充実した展示だった。
混雑する本館での特別展「キトラ古墳壁画」の行列に並ぶのは、まだましな閉館間際とし、それまでこの特別展でゆったりと過ごしてみてはいかがでしょう。

伊藤若冲_拾得および鶏図  伊藤若冲_雪梅雄鶏図
伊藤若冲:左《拾得および鶏図》《雪梅雄鶏図》



2014.03.25 Tuesday

宗達を検証する(10)風神雷神図屏風と伊勢物語図色紙の成立

連続講座「宗達を検証する」第10回 講師:林進
国宝「風神雷神図屏風」と増田家旧蔵「伊勢物語図色紙」(全36図)の成立 ―その制作年と制作意図に共通するものとはー
3月22日 於:Bunkamura B1特設会場

この連続講座もいよいよ最終回となり、管理人もどうにか休むことなく、この知的興奮に満ちた楽しい講座を堪能しました。

今回のテーマは「風神雷神図屏風」。これがいつ、どういう目的で制作されたのかを、制作年がある程度推定できる「伊勢物語図色紙」との共通点を探ることで解き明かそうとする試み。

  • 宗達の出自と社会的基盤については、京の上層町衆出身の絵師とする説と、六原の絵師とする説がある。前者は論拠とする「妙持宛 千少庵書状」にある「俵屋宗達」が絵師である確証が得られていない。後者は「宗舟・平次宛 角倉素庵書状」に「六原ノ絵かき」とあり、素庵と関係する町絵師が実在したことを論拠としているが、それが宗達であるかは不明である。が、後者の説に基づくことで、宗達の実像の一端を掴むことができると考える。
  • 宗達にとってのターニングポイントは、角倉素庵が癩(ハンセン病)を患い隠棲したことである。当時、癩者は、乞食として放浪の旅に出るか、東山・清水坂の非人宿に入って物乞いの生活を送るかの選択しかなかったが、素庵の場合は息子たちや周囲のはからいで嵯峨千光寺跡地に隠棲して静かな学究生活を送ることができた。
  • 宗達は素庵が校訂した『本朝文粋』の出版で恩に報いようとした。癩者に直接関わることは世間の掟に背くことであり、おそらく宗達はそれを機に絵筆を置くことを決意していた。しかしこの出版によって法橋に叙位され、絵の進上を余儀なくされ、更なる注文が入り、絵師を辞めることができなくなった。宗達は東福門院に依頼された養源院本堂の襖絵と杉戸絵を描き終えて寛永十年に絵筆を置いた。
  • 俵屋で制作された「伊勢物語図色紙」は宗達芸術の集大成の一つ。三十六図からなる益田孝旧蔵「伊勢物語図色紙」画帖(益田家本)は、俵屋工房で制作された他の同色紙群より先駆けて作られた作品で、宗達が『伊勢物語』から三十一段の章段を選んで、構図を考え、下絵を付け、工房の絵師の協力を得て制作した。一般に「伝宗達筆」とされているが、「宗達筆」とすべきである。
  • 山根有三氏は同色紙の第三十九段「女車の蛍」を掛け軸に改装する際に古い裏打紙に「高松様」と書かれた紙片を発見し、詞書の染筆者を示す裏書であることを突き止めた。その他の段も含めた裏書の研究から、色紙絵の制作が寛永十年夏までには終わっていたと考えられる。また、行方不明になり再発見された「女車の蛍」が再び改装された際には、宗達自筆の指示書が発見され、それは宗達が配下の者に主要モティーフを正確に描くことを求めたものと解釈される指示であった。この指示書の筆跡は「快庵宛 宗達書状」の筆跡と共通しており、この宗達書状が絵師宗達のものであることが確認された(快庵は素庵の親戚で医師の吉田快庵)。
  • 江戸時代初期から二曲一双屏風が好まれるようになり、宗達筆「舞楽図屏風」と「風神雷神図屏風」はその代表作。「風神雷神図屏風」は、風神と雷神を一双の両端上部に配置し、中央ニ扇はほぼ金地の虚空として広い空間を感じさせる。風神と雷神を水平視で描くことで親しみのある人間的な鬼神を感じさせる。たらし込み、太い輪郭線描写など、宗達の特徴が表れている(三寸金箔押しの手法は狩野山楽と同じであり、宗達はやはり狩野派であったろうと思う)。山根有三氏は、高らかに笑う雷神の姿に、最後の画境に到達した宗達の姿を見たが、近づいてみると、寂しげで、泣いているようにも見え、複雑な表情をしている。
  • 「風神雷神図屏風」の構図の特異性は、中央ニ扇にニ神の身体がまったく描かれていないこと、雷神が人間の表情に似ていること、風神が深い皺や白い眉毛など老人の顔貌であること、本来三本指の手、二本指の足である雷神をどちらも五本指で描いて神ではなく人間にしていること、赤色の肉身であるはずの雷神が白色であること、など。
  • 宗達はどんな意味を「風神雷神図屏風」に込めたのか、雷神の「鉢巻」、「白色の肉体」、「ふんわりと軽やかな黒雲」から深意を探ってみたい。鉢巻は、菅原道真が雷神と化す謡曲『雷電』の装束の鉢巻を表し、黒雲は、同じくこの謡曲から、雷神が虚空に上ったときに乗った黒雲を描いたと考える。そして、白色には、白癩(皮膚が白くなる癩を当時そう呼んだ)を患い失明してなくなった素庵を重ね、自らも風神となって雷神に寄り添った。素庵は寛永九年六月二十二日に没しており、この屏風は翌年の夏までに、素庵の追善・鎮魂のために描かれたであろう。「耕作図屏風」や養源院の杉戸絵との共通点からも、これらが同時期の制作であると考える。
  • 「風神雷神図屏風」は、清水寺の火事で焼失した風神像・雷神像が宗達を刺激し、宗達は素庵の一周忌のために制作したと考える。誰かが発注したわけでもなく、自分のために描いて手元に置いたため、落款印章は必要なかった。その後、江戸時代後期に俵屋・野野村家から近隣の臨済宗建仁寺に寄進されたと思われる。

十回の連続講座もこれにて終了。毎回時間オーバーで最後は慌ただしく終わってしまうような濃密な時間だった。先生もお疲れになったと思うが、聴くほうも頭の整理が追いつかなくて大変だった。そんなわけで、言い訳になるが、毎回テキストをなぞるようなまとめになってしまった、というよりまとめになっていない。なので、少しは自分の言葉でまとめたいと思うので、全体の簡単なまとめをまた後でやろうと思っている(実現できるかどうかわかりませんが)。

最後に、この講座の参加希望者が定員よりずっと多かったそうで、参加できなかった方のためにも、ウェブ上で講座のまとめをすることになったというお知らせがありました。しかも、講座でできなかった内容も追加されるとか。4月から順次アップしていくようなので、みなさんお楽しみに(そうなるとこのブログの記事はこっそり削除してしまったほうがいいかもしれない)。
また、将来的には出版も考えておられるようなので、これも楽しみに待つとしよう。

2014.03.21 Friday

ラファエル前派展@森ACG

森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展」をみた。

ラファエル前派展
全般的に単純に好きだと感じる作品が揃っていてずっと幸せな気分に浸っていられたが、ラファエル前派兄弟団の短い活動期間のなかでも変化があることがわかる展示になっていて、興味深かった。

今回とくに楽しみにしていたのが、ロセッティ《見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)》だった。解説は専門家に譲るとして、縦長の画面に白を基調に赤、青、金を配置した、清浄な雰囲気が美しくて、なんども戻って眺めた。これが受胎告知とは斬新だが、狭い部屋にロセッティの妹と弟がモデルというふたりの姿がとても身近に感じられる。
アーサー・ヒューズ《聖アグネス祭前夜》もよかったし、ミレイ《オフィーリア》前回みたときよりずっと魅力的だった。それとバーン=ジョーンズはやはり好きだ。どれも物語があるから余計に惹かれるのかもしれない。

人物紹介や人物相関図のパネル展示を読むと、かれらのエネルギーの源に恋愛関係があったのだろうと思わずにはいられなかった。

ロセッティ_受胎告知 ミレイ_オフィーリア バーン=ジョーンズ_愛の神殿

2014.03.17 Monday

世紀の日本画(後期)@トビカン

日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」を、東京都美術館で前期につづいて後期もみた。 
前期が圧巻の展示だったので、後期にも期待していたが、個人的な好みでいえばイマイチだった。もちろん、安田靫彦《御産の褥》小林古径《孔雀》小茂田青樹《虫魚画巻》など、すばらしい作品もあったが。前期がすごすぎたのかもしれない。

今回の訪問で惹かれたのは、冨田溪仙《許栖岩(列仙のうち》前田青邨《知盛幻生》。前者はもやもやっとして一見、馬以外がなんだかわからなかったけど、異界との境界みたいな雰囲気に吸い込まれた。後者は、全体を覆う緊迫感、とくに海の描写に異様な迫力が漲っていて、そのエネルギーが流れでてくるようだった。

小林古径_孔雀

前期後期ともにそれぞれ1回入れ替えがあったので、すべてはみられなかったけど、これだけの作品をよくぞ集めてくれたと感謝。短いですが、記録まで。

2014.03.02 Sunday

宗達を検証する(9)養源院の襖絵「松岩図」・杉戸絵「白象図ほか」

連続講座「宗達を検証する」第9回 講師:林進
重要文化財 養源院の襖絵「松岩図」・杉戸絵「白象図ほか」―制作の依頼者、趣旨、制作年についてー
2月22日 於:Bunkamura B1特設会場

今回は忘れないうちにさっさと仕上げてしまいましょう。
第9回のテーマは、俵屋宗達の大画面作品である屏風絵・襖絵・杉戸絵の制作時期がいつで制作意図は何なのかということ。山根有三説などと比較しながら検討する。

宗達が法橋に叙位された時期。山根有三は寛永元年(1624)頃(養源院再建のあと)、水尾比呂志は元和元年(1615)前後(嵯峨本料紙の評価)、山川武は元和八年(1622)(養源院再建のあと)、林進は寛永七年(1630)(本朝文粋刊行後)。水尾と林では15年の開きがある。

大画面作品の制作時期を山根有三と林進の説で比較する(講師参考資料を元に管理人が作成)
宗達大画面制作時期

林進説は山根有三が骨子をつくり、受け継がれている宗達研究をいわばちゃぶ台返しするものである(本人談)。山根説は絵の様式を強く意識している。

  • 養源院は淀君が父浅井長政ら浅井一族の菩提を弔うため長政二十一回忌に当たる文禄三年(1594)に豊臣秀吉に頼んで建立、長政の法号養源院を寺号とした。元和元年(1619)に火災により焼失したが同七年、淀君の妹、徳川秀忠夫人(江、崇源院)により再興された。養源院に現存する宗達の襖絵・杉戸絵は宗達研究で最重要なものである。
  • 養源院本堂第五室(室中の間)は襖絵「松岩図」が取り囲むという特異な構成になっている。金地の画面いっぱいに地を這うような松の巨樹を描き、それに呼応する大小の岩を配置する。狩野派のような金碧障壁画と違って、空間の奥行きを表す遠山や池水、金運や土坡のモティーフはない。狩野派は金箔の奥にいろいろ描いて奥行きを表現するが、宗達は金箔の奥に何も描かない。遠景を描かないことで、むしろ手前にあるものを表現する。それは能舞台のように、現実的でないもの、法要を行う場所である室中に永遠性への祈りを込めた。「松岩図」は、潮が引いた浜辺・洲浜を表したもの、つまり宗達が繰り返し描いた無常観がモティーフである。
  • 養源院本堂南廂(西側)の杉戸絵「唐獅子図」二枚のうち左が正面を向くというあまりみられない構図だが、東大寺の金銅八角大燈籠の火袋に見る半肉彫の唐獅子の姿に通じるものがある。これらの裏面の「立つ波に水犀図」は従来麒麟といわれてきたが、水に棲む霊獣の水犀である。南廂(東側)の杉戸絵「白象図」「唐獅子図」も含めて、それぞれ二頭が円環する動きを見せており、これは二曲一双の屏風絵の構図を意識したもので、「風神雷神図屏風」と共通する。「唐獅子」は邪悪なものを防ぐもの、「水犀」は火除け、「白象」は仏をお守りする霊獣を表しており、どれも隙間なく画面いっぱいに描いて、災難や火を通さないことを示している。
  • 山根有三は、養源院再興に際して本堂襖絵を狩野派の絵師が担当したが、何らかの理由で完成に至らず、崇源院と関係があった呉服屋の雁金屋尾形宗柏の推薦により、本阿弥光悦と関係があった宗達が襖絵の制作を行うことになり、この功績により法橋が叙位されたと推察した。
  • 私は、養源院の襖絵と杉戸絵の造形的特徴は寛永十年頃に描かれた増田家本「伊勢物語図色紙」や「風神雷神図屏風」のそれと共通すると考える。崇源院七回忌の寛永九年には東福門院の要請により祖父浅井長政に従二位権中納言が追贈されており、養源院(長政)の追善として東福門院が改めて宗達に襖絵制作を命じたのではないだろうか。

    俵屋宗達_唐獅子図俵屋宗達_立つ波に水犀図俵屋宗達_白象図
今回は養源院再興と襖絵と杉戸絵の制作に迫った。東福門院が浅井長政を追善する目的で宗達に制作を依頼、そのことによって制作年が導かれるという論旨であった。次回の講座最終回、「風神雷神図屏風」と「伊勢物語図色紙」との関係においてさらに深められるのか、期待したい。

なんと、講座に参加して養源院絵葉書セットまでお土産にいただいてしまった。ありがたいことです。養源院は三十三間堂の東向いにあって、宗達の襖絵と杉戸絵が常時公開されているそうなので、三十三間堂観光のついでに訪れてみてはいかがでしょう。


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