山種美術館で
「桜さくらサクラ・2009 ―さようなら、千鳥ヶ淵―」をみた。
今秋の広尾への移転を控え、桜の名所、千鳥ヶ淵では最後のさくら桜サクラ展になる。
昨年の同展の感想は
こちら。
地下鉄の九段下駅から地上に出ると、早くもすごい人出。まだそんなに咲いていないのに気が早いなーと思いながら歩くと、やはり二分咲き程度(適当な印象)。
今回も、気に入った作品は、小林古径《入相桜》、速水御舟《夜桜》、小茂田青樹《春庭》など、昨年とあまり変わらない。
その一方で、奥村土牛のすばらしい作品2点にこれまで触れたことがなかったことに気づいて、自分でもびっくり。
奥村土牛《醍醐》(1972)
京都、三宝院前のしだれ桜。幹の安定感が、年月を経てきた樹木の生命力の強さを滲ませている。同時に、咲き乱れる桜の花をはっきりと描かず、薄い色で何度も何度も重ねたという技法が、ぼやっとしながら強い存在感を示している。
奥村土牛《吉野》(1977)
作家本人が荘厳な景色に心を打たれ、「何か歴史画を描いて居る思いがした」と語っているように、時を遡って古代へと心が吸い込まれて行くような感覚にとらわれた。画面から滲み出る悠久の歴史の精神性のようなものがある。
今回みることができてうれしかったのがこちらの作品。
菱田春草《桜下美人図》(1894)
装飾的に描かれた桜の下で、しなっとした3人の美人が繊細な線で浮世絵のように描かれている。顔立ちはさっぱりとしているのに、なんとはなしになまめかしい。抑えめの色ながら、心洗われるような美しい絵だ。
最後は稗田一穂《朧春》(1976)
稗田一穂は現役の作家のなかでも好きなひとり。
水のなかに浮かんでいるかのように映り込む満月が、手前の桜の花を明るく照らすという不思議な魅力に満ちている。水の向こう側にある山は暗く沈んでいる。
千鳥ヶ淵での最後のさくら桜サクラ展。広尾でもさくら展を開くことができるだろうけど、桜が溢れるこの場所とは比べようがないと思うと、やはり寂しい気分になる。