「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」を
Bunkamura ザ・ミュージアムでみた。
夕方、オーチャードホールで音楽を聴くことになっていたので、その前の時間を利用しての鑑賞。
アンドリュー・ワイエスは91歳の現在も活躍中の作家なので、画像はこちらのチラシで(いつもより拡大されます)。
アンドリュー・ワイエスをみるのは青山ユニマット美術館での
「アンドリュー・ワイエス展」以来。そのときの記事を読み返してみると、まったく知らないでみていたことがよくわかる。それからとくに知識が増えたわけではないけど、少しは見方が変わるかもしれないと入場。
ワイエスは気になったものを見つけると、鉛筆かペンでデッサンし、水彩、ドライブラッシュ(水彩の技法)、テンペラへと進めて行く。最終的にテンペラにまで至らなくても完成をみているものがあるので、テンペラになっていないものが必ずしも未完成というわけでもないらしい。
例えば、紙に鉛筆で描いた
《私の姉》(1967)について作家は「この素描は完璧そのもので、これをもとに本画を制作することはしなかった。私は他の画材でこの肖像を描き直すことは不可能だと悟ったのだ」と語っている。
本展は、テンペラで本画制作されたにせよ、されなかったにせよ、そこに至る前の段階の素描や水彩の習作が多く出品されているのが特徴といえる。下絵をたくさん描く画家は数あると思うが、こういう形で展示されていると非常に興味深い。とくにワイエスの場合、モチーフや構図が大幅に変わっていることがよくあるし、その一部を取り出しただけのものもあるから余計だ。
そういう展示であることもあって、青山でみたときと違って、今回はとにかく素描のすばらしさに完全にやられてしまった。
チラシになっているテンペラ本画
《火打ち石》(1975)は、まるで何百年も生きたゾウガメのような生命力と存在感にあふれた石が描かれているが、それまでに少なくとも7点の習作が描かれているのだという。出品されていた
《火打ち石》習作(作品No.81)は、紙と鉛筆による質感によってその場所の雰囲気が強烈に伝わってきて、ややつるんとしているテンペラよりもずっと強い印象を受けた。
これもテンペラに至った
《粉挽き小屋》(1962)。その鉛筆の素描
《粉挽き小屋》習作(No.101)の、黒く描かれた部分が少ししかない、かなり白っぽい画面にはとても驚いた。ほかにも同じ印象をもったものがたくさんあったのだけど、とても少ない描き込みで、ものの特徴や場の雰囲気を見事に捉えている。こんなふうに鉛筆で描けるものなのかと、目を開かれる思いがした。
《冬の水車小屋》(1978)の場合、水彩なんだけど、石造りの家の冷たい質感が水彩とは思えないようなモノトーンで描かれていて、鉛筆のデッサンに通じるものがあった。
《野に置かれた義手》(1985)というドライブラッシュ・水彩作品がある。白っぽい丸太が画面の半分を占め、そのうえにぽつんと置かれた義手、丸太の向こうには黒人男性の首から上が描かれている。丸太の堅そうな質感がリアルに描かれいる一方で、手前に生える草の葉はまるで日本画のようなあっさりとした描き方で、それが組み合わされてとても締まった画面になっているように思った。
ワイエスの魅力はどこにあるのか。
青山でみたときは、モノトーンで描かれた墨絵のような世界に一瞬のドラマと寂寥感が広がっているように感じた。ところが今回感じたのは、ワイエスの対象を捉える目に宿る深い感情、とくに愛情だ。描きたいと思ったものに注ぐ深い愛情こそが、ややもすると平凡な景色や光景に見えてしまうものに一瞬の輝きを与えているのかもしれない。
モノトーンの世界だけに限らず、ほんのり色をつけて際立たせるような手法を使った作品もあるが、やはり圧倒的な部分は、抑えた、モノトーンに近い世界で構成されていて、それがさまざまな感情を呼び起こす要因になっている気がする。
もともと図録を買うつもりはまったくなかったのだけど、素描があまりにすばらしかったので、なかなかこういう素描が掲載されているワイエスの画集は少ないと思い、買ってしまった。ぜひ、絵を描くときの参考にしてみたい。
おまけ