2008.07.01
「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」展をBunkamuraザ・ミュージアムでみてきた。

1999年に開館したばかりというモスクワ市近代美術館からやって来た全70点すべてが日本初公開。
日曜日とはいえ、ロシアもので、しかも雨だからスカスカだろうと予想して入ったら、意外に人がいてちょっと驚いた。ロシアものでもアヴァンギャルドとなると別なんだ、という感じ。あまりに寂しい入りよりはよかったけど。
「ロシア・アヴァンギャルド」の定義ははっきりしないし、そういう括り自体を否定する向きもあるが、この展覧会ではおおまかにその代表的理念のうち、ネオ・プリミティズムとスプレマティズムが中心に据えられている。「青春」の部分はよくわからないけど、この言葉に伴うノスタルジックな感情を込めたものと勝手に解釈しておく。
I-1 西洋の影響とネオ・プリミティヴ
カンディンスキー《海景》(1902)
初めてみる写実画だけどとくに感慨はない。この作家があの音楽に満ちた抽象画に向かうことが想像できないくらい。
ロシア・アヴァンギャルドの波は原始回帰から始まる。
ナターリヤ・ゴンチャローヴァ《水浴する少年たち》(1911頃)
素朴で嫌みのない画風はポスト印象主義の趣。太陽礼賛だろうか。
ナターリヤ・ゴンチャローヴァ《あんずの収穫》(1908)
ゴーガンらの影響が感じられる。より土着的なおおらかさが見受けられる。
ゴンチャローヴァは今もっとも高く売れるロシア作家のひとり。昨年、クリスティーズのオークションで《りんごの収穫》(1909)が約500万ポンドで落札されている。
後にパリに移って、ロシア・バレエ団で『金鶏』の美術を担当するのだが、原始主義からはっきりした抽象へと移り行くなかで居場所を失ったからなのだろうか。
マルク・シャガール《ヴァイオリン弾き》(1917年)
目の覚めるような青の構成が印象的な幻想的な作品。アヴァンギャルドの小首都ヴィテプスクで絶頂期を迎えていた頃の作品だろうか。
その後、ヴィテプスクにやって来たマレーヴィチ一派の人気に押される形でパリに逃れることになる。

アリスタルフ・レントゥーロフ《教会と赤い屋根のある風景》(1916)
初めて聞く名前。色彩の平面で構成される建築物の風景がモザイクのようなきらめきをみせる。明るくてポップな作品。同じ作家の《女たちと果物(モデルたちと共にいる自画像)》(1917)はなんかすごい、という感想しか出てこない。
ボリス・アニスフェルド《シュラミの娘》(1910年代)
東洋趣味のエキゾチックさが際立っていて、妙に美しい。
I-2 見出された画家ピロスマニ
ニコ・ピロスマニことニコ・ピロスマナシヴィリ。グルジアの国民的民衆画家で、ゴンチャローヴァらによって「発見」された。グルジアの風俗に密着した素朴なタッチの絵がとても魅力的。
アヴァンギャルドの担い手たちに見いだされたといっても、ピロスマニが絵を描くことは芸術運動でも何でもなくて、生活することと同義だったのだろう。
僕なんかのピロスマニに関するイメージは、学生時代に観たゲオルギー・シェンゲラーヤ監督『ピロスマニ』でつくられたものだ。
あと、ピロスマニ展が池袋西武百貨店で開かれたときにみていて、探してみると、1986年のことだったようだ(22年も前かよ!)。
ニコ・ピロスマニ《祝宴》(1910年代)
グルジアの人々の宴を描いたこの作品にはピロスマニらしさがあふれている。歌を愛し、ワインを愛する人たち。
《コサックのレスラー、イヴァン・ポドゥーブニー》(1910年代)の背景になっているカフカース山脈の雄大さもすばらしい。どちらの作品もフジタの墨を髣髴させる黒がつややかで美しい。黒もピロスマニの特徴といえる。

ニコ・ピロスマニ《雌鹿》(1910年代)
純粋な心を感じさせるきれいな絵だ。
II マレーヴィチと抽象の展開
ロシア・アヴァンギャルドを象徴する人物、カジミール・マレーヴィチ。スプレマティズムを掲げて現代にイコンを甦らせた(…などと言ってしまっていいのか)。

マレーヴィチ《スプレマティズム(黒い十字架のあるスプレマティズムのコンポジション)》(1920-22)
III 1920年代以降の絵画
マレーヴィチが「スプレマティズムの終焉」を宣言したのが1919年。ロシアで芸術革命が継続される可能性が徐々に失われ、担い手たちは亡命するか、とどまって転向するかを迫られる。
カジミール・マレーヴィチ《自画像》(1933)
マレーヴィチはスプレマティズムで芸術の極北まで向かった結果として具象画に戻ったのか、それとも具象画しか生き延びる道はなかったのか。
館内では、マレーヴィチの作品を周りに置いて、ヤーコフ・プロタザノフ監督の映画『アエリータ』(1924)がループ上映されていた。冒頭3分だけだけど、何度も観るチャンスを逃して来た映画のさわりが観られてうれしかった。
構成主義のアレクサンドラ・エクステルの衣装は今みても斬新で新鮮。
美術分野、とくにほぼ絵画だけでロシア・アヴァンギャルドを俯瞰することは難しいけど、こういうふうに眺めてみたことがなかったので、それなりに楽しめた。本を読んでもナントカ主義とか、さまざまな分野が前後してわかりにくいということもあるし。ただ、ひとつの美術館のコレクションだけで構成されているせいか、やや物足りない印象も残った。
個人的にはロシア・アヴァンギャルド建築で大々的な展覧会を希望します!!
なんか混乱した感想になってしまった…。

1999年に開館したばかりというモスクワ市近代美術館からやって来た全70点すべてが日本初公開。
日曜日とはいえ、ロシアもので、しかも雨だからスカスカだろうと予想して入ったら、意外に人がいてちょっと驚いた。ロシアものでもアヴァンギャルドとなると別なんだ、という感じ。あまりに寂しい入りよりはよかったけど。
「ロシア・アヴァンギャルド」の定義ははっきりしないし、そういう括り自体を否定する向きもあるが、この展覧会ではおおまかにその代表的理念のうち、ネオ・プリミティズムとスプレマティズムが中心に据えられている。「青春」の部分はよくわからないけど、この言葉に伴うノスタルジックな感情を込めたものと勝手に解釈しておく。
I-1 西洋の影響とネオ・プリミティヴ
カンディンスキー《海景》(1902)
初めてみる写実画だけどとくに感慨はない。この作家があの音楽に満ちた抽象画に向かうことが想像できないくらい。
ロシア・アヴァンギャルドの波は原始回帰から始まる。
ナターリヤ・ゴンチャローヴァ《水浴する少年たち》(1911頃)
素朴で嫌みのない画風はポスト印象主義の趣。太陽礼賛だろうか。
ナターリヤ・ゴンチャローヴァ《あんずの収穫》(1908)
ゴーガンらの影響が感じられる。より土着的なおおらかさが見受けられる。
ゴンチャローヴァは今もっとも高く売れるロシア作家のひとり。昨年、クリスティーズのオークションで《りんごの収穫》(1909)が約500万ポンドで落札されている。
後にパリに移って、ロシア・バレエ団で『金鶏』の美術を担当するのだが、原始主義からはっきりした抽象へと移り行くなかで居場所を失ったからなのだろうか。
マルク・シャガール《ヴァイオリン弾き》(1917年)
目の覚めるような青の構成が印象的な幻想的な作品。アヴァンギャルドの小首都ヴィテプスクで絶頂期を迎えていた頃の作品だろうか。
その後、ヴィテプスクにやって来たマレーヴィチ一派の人気に押される形でパリに逃れることになる。

アリスタルフ・レントゥーロフ《教会と赤い屋根のある風景》(1916)
初めて聞く名前。色彩の平面で構成される建築物の風景がモザイクのようなきらめきをみせる。明るくてポップな作品。同じ作家の《女たちと果物(モデルたちと共にいる自画像)》(1917)はなんかすごい、という感想しか出てこない。
ボリス・アニスフェルド《シュラミの娘》(1910年代)
東洋趣味のエキゾチックさが際立っていて、妙に美しい。
I-2 見出された画家ピロスマニ
ニコ・ピロスマニことニコ・ピロスマナシヴィリ。グルジアの国民的民衆画家で、ゴンチャローヴァらによって「発見」された。グルジアの風俗に密着した素朴なタッチの絵がとても魅力的。
アヴァンギャルドの担い手たちに見いだされたといっても、ピロスマニが絵を描くことは芸術運動でも何でもなくて、生活することと同義だったのだろう。
僕なんかのピロスマニに関するイメージは、学生時代に観たゲオルギー・シェンゲラーヤ監督『ピロスマニ』でつくられたものだ。
あと、ピロスマニ展が池袋西武百貨店で開かれたときにみていて、探してみると、1986年のことだったようだ(22年も前かよ!)。
ニコ・ピロスマニ《祝宴》(1910年代)
グルジアの人々の宴を描いたこの作品にはピロスマニらしさがあふれている。歌を愛し、ワインを愛する人たち。
《コサックのレスラー、イヴァン・ポドゥーブニー》(1910年代)の背景になっているカフカース山脈の雄大さもすばらしい。どちらの作品もフジタの墨を髣髴させる黒がつややかで美しい。黒もピロスマニの特徴といえる。

ニコ・ピロスマニ《雌鹿》(1910年代)
純粋な心を感じさせるきれいな絵だ。
II マレーヴィチと抽象の展開
ロシア・アヴァンギャルドを象徴する人物、カジミール・マレーヴィチ。スプレマティズムを掲げて現代にイコンを甦らせた(…などと言ってしまっていいのか)。

マレーヴィチ《スプレマティズム(黒い十字架のあるスプレマティズムのコンポジション)》(1920-22)
III 1920年代以降の絵画
マレーヴィチが「スプレマティズムの終焉」を宣言したのが1919年。ロシアで芸術革命が継続される可能性が徐々に失われ、担い手たちは亡命するか、とどまって転向するかを迫られる。
カジミール・マレーヴィチ《自画像》(1933)
マレーヴィチはスプレマティズムで芸術の極北まで向かった結果として具象画に戻ったのか、それとも具象画しか生き延びる道はなかったのか。
館内では、マレーヴィチの作品を周りに置いて、ヤーコフ・プロタザノフ監督の映画『アエリータ』(1924)がループ上映されていた。冒頭3分だけだけど、何度も観るチャンスを逃して来た映画のさわりが観られてうれしかった。
構成主義のアレクサンドラ・エクステルの衣装は今みても斬新で新鮮。
美術分野、とくにほぼ絵画だけでロシア・アヴァンギャルドを俯瞰することは難しいけど、こういうふうに眺めてみたことがなかったので、それなりに楽しめた。本を読んでもナントカ主義とか、さまざまな分野が前後してわかりにくいということもあるし。ただ、ひとつの美術館のコレクションだけで構成されているせいか、やや物足りない印象も残った。
個人的にはロシア・アヴァンギャルド建築で大々的な展覧会を希望します!!
なんか混乱した感想になってしまった…。























