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「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」展Bunkamuraザ・ミュージアムでみてきた。

青春のロシア・アヴァンギャルド01 青春のロシア・アヴァンギャルド02

1999年に開館したばかりというモスクワ市近代美術館からやって来た全70点すべてが日本初公開。

日曜日とはいえ、ロシアもので、しかも雨だからスカスカだろうと予想して入ったら、意外に人がいてちょっと驚いた。ロシアものでもアヴァンギャルドとなると別なんだ、という感じ。あまりに寂しい入りよりはよかったけど。

「ロシア・アヴァンギャルド」の定義ははっきりしないし、そういう括り自体を否定する向きもあるが、この展覧会ではおおまかにその代表的理念のうち、ネオ・プリミティズムとスプレマティズムが中心に据えられている。「青春」の部分はよくわからないけど、この言葉に伴うノスタルジックな感情を込めたものと勝手に解釈しておく。

I-1 西洋の影響とネオ・プリミティヴ
カンディンスキー《海景》(1902)
初めてみる写実画だけどとくに感慨はない。この作家があの音楽に満ちた抽象画に向かうことが想像できないくらい。

ロシア・アヴァンギャルドの波は原始回帰から始まる。
ナターリヤ・ゴンチャローヴァ《水浴する少年たち》(1911頃)
素朴で嫌みのない画風はポスト印象主義の趣。太陽礼賛だろうか。
ナターリヤ・ゴンチャローヴァ《あんずの収穫》(1908)
ゴーガンらの影響が感じられる。より土着的なおおらかさが見受けられる。
ゴンチャローヴァは今もっとも高く売れるロシア作家のひとり。昨年、クリスティーズのオークションで《りんごの収穫》(1909)が約500万ポンドで落札されている。
後にパリに移って、ロシア・バレエ団で『金鶏』の美術を担当するのだが、原始主義からはっきりした抽象へと移り行くなかで居場所を失ったからなのだろうか。

マルク・シャガール《ヴァイオリン弾き》(1917年)
目の覚めるような青の構成が印象的な幻想的な作品。アヴァンギャルドの小首都ヴィテプスクで絶頂期を迎えていた頃の作品だろうか。
その後、ヴィテプスクにやって来たマレーヴィチ一派の人気に押される形でパリに逃れることになる。

レントゥーロフ《教会と赤い屋根のある風景》
アリスタルフ・レントゥーロフ《教会と赤い屋根のある風景》(1916)
初めて聞く名前。色彩の平面で構成される建築物の風景がモザイクのようなきらめきをみせる。明るくてポップな作品。同じ作家の《女たちと果物(モデルたちと共にいる自画像)》(1917)はなんかすごい、という感想しか出てこない。

ボリス・アニスフェルド《シュラミの娘》(1910年代)
東洋趣味のエキゾチックさが際立っていて、妙に美しい。

I-2 見出された画家ピロスマニ
ニコ・ピロスマニことニコ・ピロスマナシヴィリ。グルジアの国民的民衆画家で、ゴンチャローヴァらによって「発見」された。グルジアの風俗に密着した素朴なタッチの絵がとても魅力的。
アヴァンギャルドの担い手たちに見いだされたといっても、ピロスマニが絵を描くことは芸術運動でも何でもなくて、生活することと同義だったのだろう。
僕なんかのピロスマニに関するイメージは、学生時代に観たゲオルギー・シェンゲラーヤ監督『ピロスマニ』でつくられたものだ。
あと、ピロスマニ展が池袋西武百貨店で開かれたときにみていて、探してみると、1986年のことだったようだ(22年も前かよ!)。

ニコ・ピロスマニ《祝宴》(1910年代)
グルジアの人々の宴を描いたこの作品にはピロスマニらしさがあふれている。歌を愛し、ワインを愛する人たち。
《コサックのレスラー、イヴァン・ポドゥーブニー》(1910年代)の背景になっているカフカース山脈の雄大さもすばらしい。どちらの作品もフジタの墨を髣髴させる黒がつややかで美しい。黒もピロスマニの特徴といえる。

ピロスマニ《雌鹿》
ニコ・ピロスマニ《雌鹿》(1910年代)
純粋な心を感じさせるきれいな絵だ。

II マレーヴィチと抽象の展開
ロシア・アヴァンギャルドを象徴する人物、カジミール・マレーヴィチ。スプレマティズムを掲げて現代にイコンを甦らせた(…などと言ってしまっていいのか)。

マレーヴィチ《スプレマティズム》
マレーヴィチ《スプレマティズム(黒い十字架のあるスプレマティズムのコンポジション)》(1920-22)

III 1920年代以降の絵画
マレーヴィチが「スプレマティズムの終焉」を宣言したのが1919年。ロシアで芸術革命が継続される可能性が徐々に失われ、担い手たちは亡命するか、とどまって転向するかを迫られる。

カジミール・マレーヴィチ《自画像》(1933)
マレーヴィチはスプレマティズムで芸術の極北まで向かった結果として具象画に戻ったのか、それとも具象画しか生き延びる道はなかったのか。

館内では、マレーヴィチの作品を周りに置いて、ヤーコフ・プロタザノフ監督の映画『アエリータ』(1924)がループ上映されていた。冒頭3分だけだけど、何度も観るチャンスを逃して来た映画のさわりが観られてうれしかった。
構成主義のアレクサンドラ・エクステルの衣装は今みても斬新で新鮮。


美術分野、とくにほぼ絵画だけでロシア・アヴァンギャルドを俯瞰することは難しいけど、こういうふうに眺めてみたことがなかったので、それなりに楽しめた。本を読んでもナントカ主義とか、さまざまな分野が前後してわかりにくいということもあるし。ただ、ひとつの美術館のコレクションだけで構成されているせいか、やや物足りない印象も残った。
個人的にはロシア・アヴァンギャルド建築で大々的な展覧会を希望します!!

なんか混乱した感想になってしまった…。
    
  
「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」国立新美術館でみた。

静物画の秘密展01 静物画の秘密展02
『静物画の秘密』の主題のもとに75点の秀作を選び出し、これらの「静物画」が、広くヨーロッパ各地に展開したその隠れた理由、そしてさらに、個々の作品が秘めている深い意味内容を探る試みがなされます。
絵に求めるものはある種の感動なので、静物画であっても、そこから感銘を受けたり、美を感じたりすることができるかどうかが、個人的には重要。先に言ってしまうと、それなりに面白みを感じる絵はあるものの、絵をみるしあわせを感じられる絵はそう多くなかった、というところだろうか。

デ・ヘーム_朝食図
コルネーリス・デ・ヘーム《朝食図》(1960-69年頃)
ここまで、あまりおいしそうな食べ物がなかったが、やっと出会えたという感じがした。
皮を剥いてまるでジュレのような形にしたレモンはほかの作品にもいくつか描かれていたが、このレモンはとても瑞々しいし、牡蠣や葡萄も新鮮そう。もっとも、この絵のなかでいちばん目を引いたのは銀の胡椒入れだった。
この朝食を再現した展示が隣にあったが、比べることでこの作品の魅力が確認できる。

ヘッケ_花瓶の花とグラーフェリンゲンの包囲戦
ヤン・ファン・デン・ヘッケ《花瓶の花とグラーフェリンゲンの包囲戦》(1652)
アクアフレッシュのようなチューリップはとても人気があったが大変高価だったという。縦長を活かした花の配置が美しい。タイトルの包囲戦ってなんだ!?と思ってみないかぎり、背景の殺伐とした雰囲気にはなかなか気づかないだろう。それは花に強い存在感があるということの裏返しなのかもしれないけど。

ヤン・ブリューゲル父_青い花瓶の花束
ヤン・ブリューゲル(父)《青い花瓶の花束》(1608頃)
花は詰め込み過ぎで魅力を感じないけど、散った花や独特の質感が感じられる花瓶の雰囲気はとてもいい。

ルーベンス_チモーネとエフィジェニア
ペーテル・パウル・ルーベンス《チモーネとエフィジェニア》(1617頃)
大きな絵が登場してちょっと嬉しかった。といっても、人物以外はルーベンスではないのだけど。で、足の指とかをじっくりみて、芸が細かいなーと感心する。
連れ合いがルーブル美術館の巨大ルーベンス作品を思い出しながら、とくに気に入って長々とみていた。

紛れもなく今回のお目当てはこの作品。
ベラスケス_薔薇色の衣装のマルガリータ王女
ディエゴ・ベラスケス《薔薇色の衣装のマルガリータ王女》(1653-54頃)
ピンクの衣装と青のカーテンやテーブルクロス、ピンクと青の花が対比しているという。花瓶と花を手で隠してみると、なんだかとても物足りない印象になることからして、今回の静物画展に出品された理由がうなずける。
衣装や絨毯、花など、近寄ってみると結構粗い筆致が、遠ざかるとしっかりとした表情をみせるところなど、西洋画らしい魅力が詰まっている。
静かな魅力を発揮する作品だけど、この絵が描かれた経緯を想うと複雑な気持ちになった。


この美術館には混雑のイメージしかなかったけど、今回は空いていたのでゆっくりみられた。「秘密」の部分はどうあれ、静物画はわりと好みに左右されると思うので、果たしてこれからどれくらい集まるのか。
マルガリータ王女をみるだけでも十分価値があると思うけど。
    
  
「対決-巨匠たちの日本美術」(前期)を東京国立博物館でみた。

対決-巨匠たちの日本美術01 対決-巨匠たちの日本美術02

暑い夏に熱い対決。勝手に対決させられて巨匠たちは迷惑だろうけど、みる側からすれば、比較して楽しんだりできるので、ありかも。
僕自身は、対決をすこしは意識したけど、個人的には比較することに意味を感じなかったので、いつものように刹那的に、単純に好き嫌いでみていたような気がする。

運慶VS快慶

立体作品にあまり関心がないのだけど、魅力ある作品にはやはりはっとさせられる。運慶の座像と快慶の立像はそれぞれに魅力があった。
運慶《地蔵菩薩座像》(鎌倉12-13世紀)
繊細な襞などの技術的な表現はもちろんすばらしいが、全体をみたときに伝わってくる、その鮮烈な生命力に圧倒された。
快慶《死蔵菩薩立像》(鎌倉13世紀)
運慶の座像がエネルギーを外に放出しているとすれば、快慶の座像はあきらかにより様式的な美しさを秘めている。

雪舟VS雪村

雪舟_慧可断臂図
雪舟等楊《慧可断臂図》(室町1496)
強く惹きつけられるものがあるわけではない。なのにじっとみていると、人物や岩などが、それぞれに力をもってぐっと迫ってきた。よくみるととても構成的で、構図の力をみせつけられる。
雪舟等楊《四季花鳥図屏風》(室町15-16世紀)
技術の高さを感じさせる表現ばかり。後の花鳥画の原点のような作品なのではないかと勝手に思う。

雪村_呂洞賓図
雪村周継《呂洞賓図》(室町16世紀)
どこにも静止しているところがない独特の動きが爽快感をもたせてくれる。この作品には魅力を感じたが、《蝦蟇鉄拐図》のような、雪村の描く人物の顔は苦手。

永徳VS等伯

永徳_檜図屏風
狩野永徳《檜図屏風》(安土桃山16世紀)
絢爛たる力強さとでもいえるような圧倒的な力感は、永徳の漲る自信のあらわれのような気がした。
永徳_花鳥図襖
狩野永徳《花鳥図襖》(室町〜安土桃山16世紀)
これはとても繊細で、その他展示されていた作品と合わせて、永徳の力を実感させられる。

長谷川等伯《松林図屏風》(安土桃山16世紀)
今年の正月に初詣代わりにみにいった作品にまた出会えた。
あらためて湿った空気と松の調和の見事さを堪能した。よき理解者であった千利休と息子を相次いで失った後の作品ということで、これは単なる風景画ではなく心象風景を描いたものなんだと納得した。この絵から感じられる厳かな雰囲気はそこからきているのだろう。

長次郎VS光悦

もっとも人だかりがしていたのはこの対決だった。みなさん焼き物がお好きなようで。
茶碗に関しては、長次郎の艶のない素朴な味わいのほうがどちらかといえば好み。

鶴下絵三十六歌仙和歌巻_光悦/宗達
本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(江戸17世紀)
本来の対決から外れて、宗達+光悦であると同時に宗達VS光悦になっている。
鶴の飛翔の物語が金銀泥でデザインされた美しい絵巻。書のことはよくわからないが、お互いに高め合っている様が目に浮かぶ。

宗達VS光琳

琳派を代表するふたりは時代が重なっていない。光琳は宗達を継承し発展させようとしていたのだと漠然と理解していたが、どうやら、もう存在しない宗達と戦っていたようだ。

俵屋宗達《草花図扇面散貼付屏風》(江戸17世紀)
近く扇面に挑戦する予定なので、参考にしようと、花を中心にじっくり眺める。
花の配置や色など、何か特別輝くようなものがあるわけではないのに、素朴な味わいがある。扇面屏風って絵として考えた場合は微妙な形式だなと思っていたのだけど、離れてみてみると、そこに一つの小宇宙がみえて驚いた。背景とともに扇面が魅力を増していた。
俵屋宗達《蔦の細道図屏風》(江戸17世紀)
物語絵というものの枠を超えた意匠。後に琳派と呼ばれるようになる作家たちを代表するような緻密なデザイン性に満ちている。

狗子図_宗達
俵屋宗達《狗子図》(江戸17世紀)
キャラクター商品にしたらヒット間違いなし!? というぐらい可愛らしい子犬。たらし込みで子犬のころっとした体型が表現されていて、とくに腹のふくよかな感じが愛らしい。墨を自在に操る技術に瞠目する。

ここまでみて、かなりエネルギーと時間を費やしてしまっていた。後は簡単に。

仁清VS乾山

野々村仁清《色絵吉野山図茶壺》(江戸17世紀)
とても大きな茶壺。外側に描かれた吉野山の隅々まで心が配られている。壷の形が僕には完璧に感じられる。完璧なものには息苦しさを感じこともあるが、これはひたすら美しい。

尾形乾山《色絵紅葉図透彫反鉢》(江戸18世紀)
絵のデザインに合わせて鉢の形が決められたという斬新さが魅力。

円空VS木喰

円空の大胆な彫りと木喰のなめらかな彫りはまったく対照的。
それより、木喰が山菜や生の木の実だけを食す「木食戒」を受けていたということだったけど、それで93歳まで生きたということのほうに驚く。

大雅VS蕪村

どうも南画は苦手。いつかその良さに気づくことができるだろうか。

若冲VS蕭白

伊藤若冲《仙人掌群鶏図襖》(江戸1790)
緻密に描かれた鶏とデザイン的なサボテンの取り合わせが愉快。サボテンは注文で描かれた模様。

曾我蕭白《群仙図屏風》(江戸1764頃)
仙人たちの顔が気持ち悪い。どうにもこの系統の表現には馴染めない。

応挙VS芦雪

応挙_猛虎図屏風
円山応挙《猛虎図屏風》(江戸18世紀)左隻
猫だけど虎の毛の質感がすばらしくて触れそうなくらい。ヒョウは虎の雌と考えられていたとかで、右端のヒョウはやはり柔和な印象に描かれている。

芦雪_虎図襖
長沢芦雪《虎図襖》(江戸1786)
今にも襖から飛び出してきそうな迫力の割にはなんだか可愛らしいところに好感。やはりどうみても猫の動きにみえるからか。

歌麿VS写楽

ベストセラー作家の喜多川歌麿と一発屋の東洲斎写楽。歌麿をみていると、長く人気を保った理由がわかりそうな気がする。それに対して写楽は人気が1年も続かなかった。とはいえ、僕は写楽の方がずっと好きだ。大胆な表現に魅せられるからかもしれないが、何よりもユニークさが際立っている。

鉄斎VS大観

横山大観《雲中富士図屏風》(大正20世紀)
雲によって表現された遠近感と、なぜだかとても二次元的でのっぺりした青い富士が調和しているのが不思議。


この対決シリーズはどれもこれも見応えがあった。好き嫌いのせいでかなり偏った感想になっているが、それでもかなりの作品が印象に残ったという点で、対決という構成は成功していると思う。
最終週(8月11日-8月17日)には風神雷神図屏風対決なんかもあるし、この期間をねらって後期展示もみてみるつもり。

あ、そうそう、会場で山口晃が描いた巨匠バッジのガチャガチャをやってみた。
結果は尾形光琳。光琳その人に文句はないけど、大店の主人風キャラでやや微妙。
連れ合いがやってみたところ、長谷川等伯だった。挑戦者風でかっこいい。
    
  
押井守監督『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0』新宿ミラノ1で観た。
絶対に観ろとゴーストが囁くから。

攻殻機動隊2.0
最新のデジタル技術を使用した新作3DCGカットを制作のほか、新たにスカイウォーカーサウンドで音響制作を行い、音楽も最新の6.1チャンネルにリミックス・全編新規アフレコ実施を行いました。
ぜひこの機会に、劇場でご覧下さい。(Production I.G)
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の劇場公開から約13年、バージョンアップして帰ってきた。『スカイ・クロラ』宣伝の要素がいちばん強いとは思うものの、オリジナル版公開時に見逃したものとしては、リニューアルされたものが劇場で観られるので大歓迎。

映画としての最大の変更は「人形使い」の声が家弓家正から榊原良子になったこと。そのためドクター・ウィリスが人形使いを指すとき、「彼」から「彼女」に変わっていた。
中性的な雰囲気になるのかと想像していたけど、声は女性のそれだった。押井守監督は「良子さんがやると、もっと何か匂ってくるものがあるんじゃないかと期待しました。結果、僕の印象としてはかなり色っぽくなった」と語っている。男声、女声どちらのバージョンもありだし、甲乙つけがたいと思うが、今作では女声のほうが親和性が高いように感じた。
「全編新規アフレコ」の結果はすばらしいもの。余裕があって、キャラクターとの融合度合いが増した。とくに素子のラストの言葉は強い印象を残す。

映像はかなりブラッシュアップされている。
冒頭とオープニングクレジットなどは3DCGですっかりリニューアルされ、さすがに2008年版という趣き。色の変更も含めてネットを視覚化した部分が大きく進化、とくに最期の言葉のあとの映像には震えた。
全体でも、前作で基調とされた緑色が今作ではオレンジ系統に変化している。オープニングクレジットは、後に『マトリックス』で同様の手法が使われたが、基調色の変更も含めて、さらにスタイリッシュになっていた。
もちろん音響もすばらしく、効果的な音が伝わってくる。『イノセンス』の後で聴くとやや物足りなさのあった主題曲も洗練され、映像との調和性が増している。

『GHOST IN THE SHELL』はまったく古びていなかった。
終わってエンディングクレジットを観ているときから、もう一度観たいと思うと同時に、もっともっとバージョンアップしたものを観せてほしいとの想いがふつふつと湧いてきた。
間違いなく、これからもずっと記憶されていく作品だ。映画館で観られたおかげでそれが再確認できた。

GHOST IN THE SHELL2.0パンフ
プログラム(1995年公開当時のプログラム復刻版付き)

最低でもあと1回は観に行くぞー!!

【追記】1週間後、また観た。こういう映画の場合、アニメ好きの観客が揃っているようで、誰もが映画に集中しているのが感じられるくらい静かでうれしい。まだ何回でも観られそう。
    
  
山種美術館「日本画満開〜牡丹・菖蒲・紫陽花・芥子〜」をみた。

日本画満開a 日本画満開b

もう梅雨明けしているに違いないと感じるほどの好天と暑さとなっては、これらの花々の見頃の時期はほとんど過ぎてしまっているけど、日本画に描かれた花々は満開だった。

小林古径_菖蒲
小林古径《菖蒲》
《菖蒲下絵》と並んでいたので、み比べてみると、本画になるとまったく印象が変わっていた。
花の色そのものもかなり変えているし、濃淡もはっきり。全体に落ち着いたバランスになっているのに、画面が引き締まっていて、空気感が全然違うものになっていた。葉の密度が濃くなったせいもあるだろう。

小林古径_牡丹
小林古径《牡丹》
花の白と葉の緑がはっきりと分けられていて、爽やかな初夏の香りがした。

小林古径_鉢花
小林古径《鉢花》
盛鉢と紅白のチューリップの取り合わせがまずおもしろい。楽しげな小気味よさ。

小林古径_蓮
小林古径《蓮》
涼しげなピンクの花と波打つ葉が響き合ってリズミカル。

小林古径_白華小禽
小林古径《白華小禽》
ピンクを薄くのせた泰山木の白い花と緑の葉に、瑠璃色の小鳥と雌しべの赤がさりげなくポイントになっていて、はっとさせられる美しさ。

今回は個人的には小林古径大会になってしまった。もちろん、このほかもすばらしい作品ばかり。

松尾敏男《彩苑》
雨に打たれて垂れる菖蒲。葉と茎が水面にまっすぐに切られているところが不思議な味わい。

高山辰雄《緑の影》
タイトルにあるとおり、全体がほぼ緑で覆われ、紫陽花の花にだけ青みなどが入れられている。「作家のことば」にある「花弁が薄く、そのせいで、少し真珠色に光って見えた」という紫陽花を描いたもの。

川端龍子《華曲》
唐獅子牡丹を描いた二曲一双屏風。右隻の牡丹は葉や茎が墨で黒く描かれ、「花王」に相応しい貫禄。左隻の蝶とじゃれ合う獅子は、おかしな格好ながら、しなやかな動きをみせている。

奥村土牛《蓮》
毎日写生していたわりには蓮の花が少ないなと思いながら、下がってみてみると、あの世に咲く花のように幻想的な雰囲気をたたえていた。黒い額縁のせいで薄型テレビでハイビジョン画像をみているようだった。

速水御舟の作品は《牡丹花(墨牡丹)》など、すばらしい絵がいつものように展示されていたが、以前にいくつか触れている。
《牡丹(写生画帖)》のスケッチには圧倒された。多分じっくりと眺めてから、すらすらと描いたのだろうなどと思いながらみた。

季節を感じながら花の絵を、いろいろな表現で描かれているのをみるというのは、華やかで贅沢な気分だった。日本画ってまずは花鳥風月だなーと思わせてくれる。
    
  
押井守監督『イノセンス』を新宿ミラノ3で観た。

イノセンス_ポスター

『スカイ・クロラ』の公開記念として特別上映されたもので、7月26日から8月1日までの1週間だけの公開。『GHOST IN THE SHELL2/攻殻機動隊2.0』を2週連続で劇場で観たところだったので、そのまた1週間後に続編が観られたのは幸せだった。

4年ぶりに観たわけだけど、攻殻2.0がイノセンスによりつながる形でバージョンアップしていたため、続編の雰囲気が高まっていたように感じた。登場人物たちは正直喋り過ぎだろう、という感想は変わらなかったけど。
2Dと3Dのマッチングに挑んだかのような驚異の映像は今観ても感動するほど。相容れない表現方法という考えもあるかもしれないけど、むしろそういう異質な部分を逆手に取ってうまく融合させていると思う。
そうなると、『スカイ・クロラ』ではどんな映像になっているのか楽しみだ。予告編をみたかぎりでは、平面的なキャラクターと空のリアルな戦闘シーンの対比を意図的に演出しているように思えた。主人公ふたりの声にかなり不安を感じているのも事実だけど(スカイ・クロラ公開に向けて、新宿ミラノでは絢香が歌う主題歌「今夜も星に抱かれて...」がずっと流されていて、それが頭の中をループして困っている)。

4年前の公開当時、素子の義体が作られていくオープニングクレジットの最後で、素子の目に何かが映り込んでいるというので、目を凝らしたことを思い出して、今回もしっかり睨んだ。当時3回も観たのにはっきり確認したのか自信がなかったけど、今回はばっちり確認できたのですごくうれしかった。好きな映画は何度観ても発見があるのでとても楽しい。

惜しむらくは劇場がしょぼかったこと。緊急上映だし仕方がないのはわかるけど、新宿では相次いでシネコンがオープンして、新しい映画館が増えていることを思うと、少々寂しい気持ちだった。
       

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