府中市美術館で企画展
「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」(5月11日まで)をみた。
好きな絵をみるにもだいたい近場で済ませている暮らしからすれば、遠出の部類に入るのだけど、企画に惹かれて足を延ばした。
過去の南蛮や紅毛との遭遇や交流に想いを馳せ、触発された作家たちが、それぞれさまざまな想いを込めて描いた作品の数々。
そういえば南蛮と紅毛の違いってなんだろう、とふと思ったところ、南蛮は安土桃山時代に交流していたポルトガルとスペイン、紅毛は江戸時代に交流をもって
いたオランダを指すのだとか。紅毛がオランダだったことより、具体的な国名に結びついたことにびっくり。みなさんご存じでした?
政宗と常長ー歴史画の中の南蛮
伊達政宗の命を受けてヨーロッパにまで渡航した支倉常長。
《使命》福田恵一(1925)
常長の遣欧使節団一行を描いた大作。
ぼかした技法なのか、なんかもやもやしているせいで、幻想的な雰囲気。絹本というより、まるでガラスみたいな印象を受ける。
蘭学の風景
解剖の様子を描いた作品や銅版画の世界地図など。
《腑分》山村耕花(1927)
シーボルトが杉田玄白や平賀源内とともに解剖を行う図。実際にはシーボルトが来日したときには、すでにふたりは故人。夢のような場面。
南蛮・紅毛の追憶
《南蛮人渡来図》中村岳陵(1913)
六曲一双の絹本著色。南蛮人一行が渡来し、キリシタン大名らしき一行に出迎えられる場面が、淡々と、中間色の淡い色調で描かれている。色調のせいでまさに夢のなかの景色のようで、ロマンチックな気持ちにさせられる。
《南蛮人来朝之図》(右隻)(安土桃山時代) こういう絵に多くの作家が触発されたのだろう。きらびやかさと歴史の重さを感じる。
夢想する人々
《蟹港二題 藁街の夕(中華街)》牛田薙村(1926)(うしだけいそん:けいの字がないので代用)
蟹港、横浜。どっぷりと暮れた街の暗いなかに、ほのかな灯りが点在して、きれいで幻想的。
《邪宗渡来》竹久夢二(1918)
セピアのような色合いで描かれた交流のひとコマ。まるで木版画のように処理された背景と緻密な人物配置による構図。果物に釣られたかのような動きをみせている女性たちは、夢二美人そのもの。過去と現在が入り乱れたアンバランスさと構成の調和によって、おとぎ話のような不思議な世界が現われている。
信仰、禁教
《切支丹と仏徒》前田青邨(1917)
白描の地獄絵図を背景に座る白い衣装の仏徒と、赤銅色の殉教図を背景に立つ黒い衣装のキリシタンの対比。作家は長崎に取材したときにみた、宗教が混在する不思議な光景から着想したそうだ。
《ためさるる日》(右幅)鏑木清方(1918)
絵踏みの順番を待つふたりの長崎の遊女の物憂げな表情が哀しい。
《伴天連お春》松本華羊(1916)
吉原のキリシタン遊女朝妻が、信仰を保ったまま処刑されることとなり、その前に一度桜を見たいとの願いが叶った場面。近年の研究で朝妻だと判明したとのこと。
この企画展のタイトルがとてもいい。夢とまぼろしの間を行ったり来たりするような不思議な感覚を味わったから。
異文化交流というのはいつの時代にも驚きと摩擦に満ちている。日本と南蛮、紅毛との交流を中心に据えたこの企画は、往事に想いを馳せた作家たちを通じて、二重の意味でタイムスリップするような楽しみを与えてくれる。
自分に寄せて考えると、ある意味これは「仮面の忍者赤影」だ。
少年時代に楽しみに見ていたことや、その幻想的なイメージを思い出すときの、なんとなく甘い感情。それに似たものなのかもしれないと思う。
少年の頃には意識していなかったけど、舞台はまさしく安土桃山時代だった。