新宿御苑近くの
佐藤美術館で
「〜複眼リアリスト〜 諏訪敦絵画作品展」をみた。
諏訪敦のことは知らなかった。写実画にとくに興味があるわけではないのに出かけたのは、画家自身のHPでいくつかの作品をみて、ただリアルなだけでないものを感じたからだ。
諏訪敦 公式サイト
本作品展に出品されている作品のいくつかも掲載されている。
実際にみてみると、限りなく写実を目指しているのではないということを感じた。ものすごく細密に描かれている部分もあるのだが、どれも、それを突き詰めようとはしていない。写真のようだけど、ひと目で違うことがわかる。
それが心地よかった。これ写真じゃないの!?、というような作品だったら、すごいなーで終わりになってしまう。写実からすこしずらしたような感覚。それが、何を描いているのだろうという興味につながる。
Part1 初期作品(1988〜1996)
学生時代の習作、スペイン研修時代の模写など。写実へのまなざしが感じられる。
《羊の頭部》《模写 デューラー自画像》など。
Part2 大野一雄・慶人(1999〜)
前衛舞踏家の親子を描いたシリーズ。
「絵画の原点回帰としての写実表現にある種の限界を感じ始めていた」という諏訪が、取材を通じて得た情報を作品に取り込んでいったという。
かなりリアルではあるのだが、それに幻想的な雰囲気をまとわせている。
《大野一雄の幻視》には、幻想と強い現実性が混じり合っている。
《聖徳太子(大野慶人)》《函館 弁天町より》など
Part3 ひとたち(1997〜)
女性たちの眼差しや佇まいに、なんとなく落ち着かない気分にさせられる。さっぱりとした背景のせいもあるかもしれない。
《迷信》《読書する女》《どうせなにもみえない》など。
Part4 SLEEPERS(2003〜)
一般から募った女性たちの寝姿シリーズ。「不安定なよそよそしさ」「どこか夢想的」とある。ただ寝そべっている姿、目を閉じているけど眠ってはいないような姿。そうした姿に、なんとなく寒々しい、微妙な空気が漂っている。
《ゆうなぎ》《あいまいなかたち》など。
Part5 Stereotype(2007〜)
日本人像のステレオタイプのようなものをモデルに重ねて描いたシリーズ。重ね合わせることで生じる違和感にはっとさせられる。
《Japanese 02》をみているうちに、なんかおかしいと感じ始めると、もはや人だとは思えなくなってきたほどだ。
《Japanese 阿修羅06》《Japanese 薬師05》《Japanese 彌勒04》《Japanese 半眼07》など。
絵画表現におけるリアルさとは何なのか。リアルであるものとそうでないものの境界、違いはどこにあるのか。これまで深く考えてみたことはなかったが、この作品展はそれを考えさせてくれる機会になった。これをきっかけにそういう視点ももってみたいと思う。