2007.06.10
山種美術館で「開館40周年記念展 山種コレクション名品選」(後期)をみた。
前期はこちら。
まず、福田平八郎《筍》(1947年)に再会。このユーモラスさは何なんだろう。
筍ふたつだけでは淋しいので落葉を線描きで添えてみた、とあったが、デザイン的な落葉によって筍が引き立っていた。

上村松園《牡丹雪》(1944年)。
余白の効果を活かしたうっとりするような構図の美しい絵。控えめな数の牡丹雪の形が模様のようで面白い。ふたりの女性の動きがとても生きている。今までみた松園のなかでいちばん好きな作品。

速水御舟《秋茄子》(1934年)。
中央に集まったつるが生きて今ものびているふう。つるのうねりと葉の広がり、茄子の実と花とバッタがアクセントになって無限の広がりをみせている。

速水御舟《白芙蓉》(1934年)。
墨の薄さが味わい深い。そして白さを強調していない白芙蓉との調和が、緊張感漂う凛とした美しさを湛えている。

俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書《四季草花下絵和歌短冊帖》(17世紀前半)。
ここに掲載したのは、このうち「浜松」「椿」「朝顔」。
こうした草花や木、鳥に至るまでを形だけで表現する装飾性が際立っている。書のほうはよくわからないけど、絵とマッチしている。
小林古径《清姫》(1930年)。8面からなる連作からは、あまり多くを語らないシンプルな表現に絵物語的な独特なものが感じられた。それにしても、旅の僧である安珍に恋焦がれるあまり、大蛇になって後を追い、火焔で焼き殺してしまうなんて。最後の一枚《入相桜》は憐れで寂しげだ。
そして奥の部屋に移る。
後期の目玉は何といってもこの傑作。

速水御舟《炎舞》(1925年)。
暗い部屋に入ると、奥の壁で炎が舞っていた。まるで実際に炎が上がっているようだ。炎が煙とともに舞い上がり、果てしなく天にまで昇っていくような幻想的な光景がみえた。炎に吸い寄せられた蛾も、この世ならぬ場所から集まってきたかのようにみえてくる。
こういう絵画はあまりみたことがない。炎の表現では、ふと伴大納言絵巻を思い出した。
印刷物やウェブでみた《炎舞》に興味がひかれていたのは確かだけど、実物は想像をはるかに上回る素晴らしさだった。個人の好みを超えて誰をも惹きつける力をもっていると感じた。
スポットライトの効果も多少あるのだろうけど、炎があまりに輝いているため、多くの人が蛾のように吸い寄せられ、照明の位置を確認したり、チラシで光を遮ってみたりするほどだった。

伝俵屋宗達《槙楓図》(17世紀前半)。
《炎舞》の左には、御舟が影響を受けた琳派の祖の作品(伝がつくけど)。前期の展示では同じ場所に御舟の《名樹散椿》があって、この《槙楓図》との類似性が感じられる。
江戸時代のこの作品には、解説にあるとおり、リズムが感じられる一方で、とても静かな印象。それに対して《名樹散椿》では生命力あふれる動きが印象的だった。

速水御舟《翠苔緑芝》(1928年)。
《炎舞》の右には、《名樹散椿》とともに琳派の装飾性と構成法を意識的に取り入れたという四曲一双の大作屏風。何かこの世のものでないような光景が広がっている。独創的な表現の紫陽花を中心に、枇杷や躑躅が効果的に配置され、黒猫と白兎の愛らしい存在感が不思議な味わいを生んでいる。二羽の兎は絵本にみるようなユーモラスなポーズで、鳥獣戯画を思わせる。
奥の部屋には、このほか、鈴木其一《四季花鳥図》(19世紀)や、いくつかの小品があった。そのなかでもこの作品には魅かれるものがあった。

岩佐又兵衛《官女観菊図》(17世紀前半)。
やわらかな濃淡で描かれ、画面全体に品がある。花が効果的に華やかさを添えている。
しばらくこの部屋で過ごした。椅子に座ったり立ったり、近寄ったり離れたりしながら、とくに《炎舞》《翠苔緑芝》《槙楓図》を何度も何度もいろんな角度から眺めていた。あまりの素晴らしさに本当に時間を忘れてしまっていた。
前期はこちら。
まず、福田平八郎《筍》(1947年)に再会。このユーモラスさは何なんだろう。
筍ふたつだけでは淋しいので落葉を線描きで添えてみた、とあったが、デザイン的な落葉によって筍が引き立っていた。

上村松園《牡丹雪》(1944年)。
余白の効果を活かしたうっとりするような構図の美しい絵。控えめな数の牡丹雪の形が模様のようで面白い。ふたりの女性の動きがとても生きている。今までみた松園のなかでいちばん好きな作品。

速水御舟《秋茄子》(1934年)。
中央に集まったつるが生きて今ものびているふう。つるのうねりと葉の広がり、茄子の実と花とバッタがアクセントになって無限の広がりをみせている。

速水御舟《白芙蓉》(1934年)。
墨の薄さが味わい深い。そして白さを強調していない白芙蓉との調和が、緊張感漂う凛とした美しさを湛えている。

俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書《四季草花下絵和歌短冊帖》(17世紀前半)。
ここに掲載したのは、このうち「浜松」「椿」「朝顔」。
こうした草花や木、鳥に至るまでを形だけで表現する装飾性が際立っている。書のほうはよくわからないけど、絵とマッチしている。
小林古径《清姫》(1930年)。8面からなる連作からは、あまり多くを語らないシンプルな表現に絵物語的な独特なものが感じられた。それにしても、旅の僧である安珍に恋焦がれるあまり、大蛇になって後を追い、火焔で焼き殺してしまうなんて。最後の一枚《入相桜》は憐れで寂しげだ。
そして奥の部屋に移る。
後期の目玉は何といってもこの傑作。

速水御舟《炎舞》(1925年)。
暗い部屋に入ると、奥の壁で炎が舞っていた。まるで実際に炎が上がっているようだ。炎が煙とともに舞い上がり、果てしなく天にまで昇っていくような幻想的な光景がみえた。炎に吸い寄せられた蛾も、この世ならぬ場所から集まってきたかのようにみえてくる。
こういう絵画はあまりみたことがない。炎の表現では、ふと伴大納言絵巻を思い出した。
印刷物やウェブでみた《炎舞》に興味がひかれていたのは確かだけど、実物は想像をはるかに上回る素晴らしさだった。個人の好みを超えて誰をも惹きつける力をもっていると感じた。
スポットライトの効果も多少あるのだろうけど、炎があまりに輝いているため、多くの人が蛾のように吸い寄せられ、照明の位置を確認したり、チラシで光を遮ってみたりするほどだった。

伝俵屋宗達《槙楓図》(17世紀前半)。
《炎舞》の左には、御舟が影響を受けた琳派の祖の作品(伝がつくけど)。前期の展示では同じ場所に御舟の《名樹散椿》があって、この《槙楓図》との類似性が感じられる。
江戸時代のこの作品には、解説にあるとおり、リズムが感じられる一方で、とても静かな印象。それに対して《名樹散椿》では生命力あふれる動きが印象的だった。

速水御舟《翠苔緑芝》(1928年)。
《炎舞》の右には、《名樹散椿》とともに琳派の装飾性と構成法を意識的に取り入れたという四曲一双の大作屏風。何かこの世のものでないような光景が広がっている。独創的な表現の紫陽花を中心に、枇杷や躑躅が効果的に配置され、黒猫と白兎の愛らしい存在感が不思議な味わいを生んでいる。二羽の兎は絵本にみるようなユーモラスなポーズで、鳥獣戯画を思わせる。
奥の部屋には、このほか、鈴木其一《四季花鳥図》(19世紀)や、いくつかの小品があった。そのなかでもこの作品には魅かれるものがあった。

岩佐又兵衛《官女観菊図》(17世紀前半)。
やわらかな濃淡で描かれ、画面全体に品がある。花が効果的に華やかさを添えている。
しばらくこの部屋で過ごした。椅子に座ったり立ったり、近寄ったり離れたりしながら、とくに《炎舞》《翠苔緑芝》《槙楓図》を何度も何度もいろんな角度から眺めていた。あまりの素晴らしさに本当に時間を忘れてしまっていた。
TBありがとうございました。
後期にも既に行かれたのでね。
「四季草花下絵和歌短冊帖」や
「白芙蓉」などこれまた見応えある
品の良い作品出ていますね〜
今回は早めに行かなくちゃ。
っと思いつつ中々。。。