メトロを乗り換え乗り換えしてトリニテ・デスティエンヌ・ドルヴ駅から地上に出ると、左手にサント・トリニテ教会。
教会の右手の通りに美術館の案内表示があって、道なりに進んで、やや狭い坂を上ると、建物のひとつが
ギュスターヴ・モロー美術館です。
扉を押せとの表示に従ってドアを押してもびくともしません。おかしいなと思いつつ、左手の表示に目をやると、昼休み中! まさか昼休みがあるとは考えもしなかったので、チェックしていませんでした。
15分したら開くので、周辺をぶらぶらしていると、ルノワールとかかれたプレートを角地に立つ建物の2階に見つけました。
「ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)は1897-1902年にこのメゾンに住んだ」と書いてありました(もちろん勝手に推測)。
それはそれとして、時間がきたのでいよいよ美術館に突入です。
ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、自宅兼アトリエを死後に美術館にするために生前から準備していました。そのためにできるだけ作品を手放さないようにしていたというのですから、それだけ想いの詰まった空間といえるかもしれません。
ちなみに美術館が開かれたのは画家がなくなってから5年後の1903年。油彩画、水彩画、素描など2万点もの作品が所狭しと展示されていて、開館以来、展示方法や配置がほとんど変わっていないのだそうです。
3階までさっさと上がるとそこは、モローの作品世界が生み出す何ともいえない濃密な空気が支配していました。そこは見ないように我慢して、最上階の4階まで螺旋階段を上がりました。
螺旋階段から3階の一部を臨みます。
モローの作品のうち、完成品の多くはサロンに出品したり、依頼されて描いたもので、だいたいがこの美術館の外にあるため、この美術館にある作品は、ほとんどが未完成品です。未完成品ばかりなんて、と思う人もいるでしょう。
でも、作家は自分のために描くことに最も幸せを感じていたということですから、この美術館にある作品群こそが、モローが真に描きたかったものだといえるのではないでしょうか。
制作が完了していないというのは表面的にはそうかもしれません。でも、画家の内面では完了している場合もあるでしょう。実際、完全には出来上がっていない作品をみても、ちっとも中途半端とか、そういった物足りなさを感じたりすることはありませんでした。むしろ、それに好奇心をかきたてられ、興奮させられたのです。
前口上はこのあたりにして。
3階大広間と4階の2室は、高い天井にまで至る壁をすべて絵画が埋め尽くしていて、おそろしいほどの密度です。
さて、4階には比較的小さな作品が多いのですが、それでも、私が日本でこれまでみてきたものはもっと小さな作品ばかりだったので、最初驚きました。
まず目に付いたのはこちら。
《ユピテルとセメレ》(1895)。売却後にアトリエに戻ってきた数少ない完成品のひとつ。完成度は高いのかもしれませんが、モローの神秘的な部分があまり感じられなくて、ちょっとお堅い印象です。それにしてもぎっしりと描き込まれています。
《踊るサロメ》(1876頃)。《刺青のサロメ》とも云うのだそうです。サロメの身体や柱などに入れ墨のように細かく描き込まれた線にとにかく目を奪われますが、「宝石で飾るための準備デッサン」とのこと。なかなか目を離すことができませんでした。
《騎手》(1870頃)。《スコットランドの騎手》とも称される初期の傑作。画面の外のどこまでも空間を感じさせる広がりと馬の疾走感。こういう作品にもめぐり合えるなんて。
《一角獣と貴婦人》(1885頃)。クリュニー美術館にある《一角獣と貴婦人》のタペストリーほかから着想を得た作品とのこと。幻惑されるほどの神秘的な美しさです。
《出現》(1876)。ルーヴル、オルセーにある《出現》は水彩ですが、これは油彩。これまた白い描線の細かさにびっくりしました。しっかりと立体感も出ています。
4階ですでにモローの空気を十分に吸い込みましたが、さらに充実感のある3階大広間が、たくさんの大作、素描まで抱えて待ち受けていました。
《求婚者たち》(1852以降)。妻ペネロペに言い寄った男たちがオデュセウスに殺戮される場面を描いた、画家最大の作品で、縦横とも3メートル以上あり、かなりの迫力です。モロー版《最後の審判》のように思えました。
《神秘の花》(1890頃)。聖母マリアをこんな風に描く画家がほかにいるでしょうか。
モローの作品は画面の隅々まで神秘的で美しいけど、色そのものには鮮やかさが足りないような気が以前からしていました。それでもとても魅かれるのはなぜだろうと考えていたのですが、構成の素晴らしさに魅かれるのだと、気が付きました。隅々まで描き込んであろうとなかろうと、どの作品も構図がすばらしくしっくりくるのです。
この絵も聖母マリアはやや上ながら中央でこちらに真正面に向いています。でも下の茎の部分と地面、それと背後の岩がバランスを保って絶妙な配置をみせています。なんというきれいさ。
《戦いの間、歌をうたうティルテー》(1860以降)。これだけ多くの若者たちが描かれていても、中央で詩をうたう中性的な青年詩人に目を惹かれる構図の妙が感じられます。
《アルゴー号乗組員たちの帰還》(1891-97頃)。大好きな映画、レイ・ハリーハウゼンの「アルゴ探検隊の大冒険」の活劇的なイメージとは全然違いますが、他のモロー作品と比べると、青を背景とした明るさがとても清清しい印象をもたらしています。
《父なるアポロンの許を離れて世界を照らしにゆくミューズたち》(1868)。これも構図に注目です。ミューズたちの縦の並び方、中心の全体的な縦長の構図、それらに合わせたかのような背景の色の変化。そこから詩的で内面的な世界が生まれているような気がします。
《ヘシオドスとミューズたち》(1860頃)。上の《ミューズたち》に似た印象ですが、より幻想的な雰囲気です。ところどころに輝きが効果的に配置され、透明感のある絵画に仕上がっているような気がします。ペガサスの翼の色には驚きました。
《テスピウスの娘たち》。中央のヘラクレスの周りに大勢の娘たちがいるのに、なぜかとても静かな印象。それよりも目を奪われたのは背後と両端に見える建物や彫刻の人工物です。装飾そのものの描き方と色合いの見事な精緻さが幻想的雰囲気を高めています。
《東方の三博士》(1860頃)。大作の下絵だそうです。全体的に暗めの調子で、ぱっと見たところでは、どこをみればいいのかよくわかりませんが、不思議な雰囲気に魅かれました。先頭と馬を引く人たちの白い衣装のなかで、ボタンのような黒い盾が強い印象をもって目に飛び込んできました。
《キマイラたち》(1884)。ほとんど彩色されていない未完の大作。100人もの女性たちと遠くに見える建物が細かく描かれ、色がないためにかえって圧倒されます。手前左手に「一角獣と貴婦人」のようなモチーフが見られたりして、驚かされます。もし完成させていたらどんな風になっていたかと想像するだけで鳥肌が立つような作品でした。
《パルクと死の天使》(1890)。誰もがイメージするモロー作品と比べると、絵具の用い方のせいか、量感があり、岩の質感などがとてもよく出ていて、異色な感じです。イコンのようにもみえます。しばらくみていると、やはりモローでしたが。
《レダ》(1865頃)。はっとする美しさの下絵。それもそのはず、作家は神聖な白を強く意識して描いたようです。輝くような白が目にまぶしいですね。
ふう・・・。モローの世界にどっぷりと浸かってしまいました。ひとりの画家の作品がこれほど集められている美術館なんてほかにはどこにもないでしょうね。
でも、これで終わりではありません。水彩画もあるし、大量の素描も書架のようなパネルに収められています。
《ケンタウロスに運ばれる死せる詩人》(1890頃)。本当に色鮮やかで瑞々しい水彩画。最高に美しい作品です。油彩よりずっと短時間に描けるせいもあるのか、自由で伸びやかな感じがします。
これはニューヨーク、メトロポリタン美術館が所蔵する《オイディプスとスフィンクス》(1864)。サロンに出品してモローがついに画家としての名を確立した作品ですね。モロー美術館にはこれの下絵があります。
とても興味深いです。ほかに鳥の翼のデッサンも見つけました。これらの絵を眺めながら、長年の研究と研鑽が実を結んでいく過程の一部に触れたような気がしました。
右の木炭を使った絵は2階の階段室の柱に掛かっているものです。階段室にはもう1点。
《ペルシャの詩人》(1890頃)。気品のある詩人と一角獣の佇まいに、きらめくような色が想像できるようです。
ルネサンス風の絵からフォービスムを先取りしたようなタッチのものまで、モローはさまざまな作品をみせてくれますが、すべてが<モロー>という絵に昇華されている感じがしました。それがこの美術館に凝縮されていて、濃密な空気となって内部を徘徊しているような、そんなイメージが浮かびました。
この空気に馴染んでしまい、しばらくユーフォリアから抜け出すことができませんでした。
図録をみようとしたら、日本語版もあるとのことで、受付のマダムに頼んで出してもらいました。
表紙は《妖精とグリフォン》(1876頃)。19.50ユーロ。今回の旅でいちばん高い図録でしたが、それだけの価値があります。
余談ですが、この記事を書いているとき、ブログサービスを画像ファイルサイズを大きくできる有料版にしておけばよかったと思いました。小さな画像でモローの素晴らしさを伝えるのは難しいですね。