2023.08.20 Sunday
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2023.08.19 Saturday
『ソール・ライターの原点 ニューヨークの色』@渋谷ヒカリエ ヒカリエホール ホールA
Bunkamuraザ・ミュージアムで過去2回開催されたソール・ライター展は観ていない。2回目については観たかったけど見逃してしまっている。というわけで今回こそはと、会期末間近になってしまったけど、昼間の暑い時間帯に出かけてきた(駅直結なので安心)。
なんとなく、ニューヨークのスナップ写真を撮っていた写真家というイメージ。
スナップ写真に加えて、ファッション写真や、ナビ派に影響を受けた油彩画もあって充実の展示。まだまだ整理が終わっていない膨大な素材があるらしい。
ニューヨークの日常を切り取ったスナップ写真のひとつひとつに格別驚くべき仕上がりというのは感じなかった。が、日常にある一瞬のきらめきが、いくつもまとまると、かたまりとして人々の営みが生き生きと伝わってくる。本質は、画作りを意識するよりは心のままにシャッターを切ったスナップ写真なんだろう。
写真撮影が可能だったので、カメラを向ける人たちの動きで人気を集める作品が目について面白い。
早くからカラー写真に取り組んでいたというだけに、色に目を惹かれるものが多くて、色の感性が高い。個人的にもモノクロ写真よりカラー写真に魅力を感じるものが多かった。
ファッション写真でも、造形物や場所とポーズとの組み合わせに斬新さがあって、人と人、人とモノのような関係性に面白味を感じていたのではないかなという気がした。
最近では珍しくポストカードを買った。うまく配置して飾ってみたい。
2018.12.17 Monday
国立新美術館で開かれている「ピエール・ボナール展」最終日に滑り込んできた。予想よりは少し多い程度の混み具合いだったので、快適にみることができた。
個人的なハイライトは最初の展示。「日本かぶれのナビ」と言われた頃の作品がずっと好きだ。日本美術の影響を受けているからというわけではないわけではないが、それが理由ではない。
全体を観終えた後で再確認したのは、色使いが好きだということ。
色面で構成されるのが好みで、後年になると色が混ざり合ったりしているのが、返って美しくみえなくて苦手になる。点描っぽさでさらに苦手感が増す。
色そのものも鮮やかならきれいに感じるかというとそうでもないし、地味な色合いでもきれいに感じたりする。なんだろうね、こういうのは。
そんなわけで、好きな作品を挙げると、『庭の女性たち』(4点組装飾パネル)、『白い猫』、『アンドレ・ボナール嬢の肖像、画家の妹』。ほんとに最初の部屋で終わってしまう。
画家の作品の肖像は初見。掛け軸型だけども立体感のある画で、色と構図、表情と、とても魅力的な作品。
白猫はオルセーで観ている。いつ観てもおもしろい。
ボナールとマルトが互いに撮りあったいくつかの写真は鮮明で、写真を楽しんで撮っている雰囲気が伝わってきた。
最近は好きなタイプの絵が固まってしまっていて、行きたくなるのもそういう作家のものばかり。それに主題や意図について考えるより、観て気持ちいいか、よくないかばかりを追ってしまう。観るタイプも観方ももうすこし冒険したほうがいいと思いつつも、なかなか……。
来年の課題にしようかな。
2018.08.21 Tuesday
『没後50年 藤田嗣治展』を東京都美術館でみた。
「質量ともに史上最大級」をうたうだけあって、観終わったときにはもうお腹いっぱい。もちろん心地よいやつ。
画業の最初期から最晩年まで、画風や画題がそのときどきの関心や社会情勢に応じて変わっていく様が、はっきりと見えるようで、まったく飽きることがない。
外光派風の洋画、アメリカ縦断の旅で描いた地元で人気そうなカラフルな水彩画、熱に浮かされたかのような気配が漂うくすんだ色の戦争画、透明感が美しい乳白色の裸婦、佇まいに風情がある街並、存在感がやわらかな静物、愛情をもって見つめる猫や犬、そして晩年の独特の宗教画、フレスコ画と、さまざまなスタイルの画に挑戦しているのに驚く。画だけでなくミニチュア模型や額縁を製作したり、ものを作るのが好きだったのだろう。
自画像を好んで描く理由は知らないが、描くものが変わっていくときや、気持ちを切り換えたりするときに、何かをリセットするような役割もあったのかもしれない、なんてことも思う。
今回の展示でいちばん気に入ったのは《エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像》(1922年、シカゴ美術館)。
人物に存在感を与える装飾物、猫、そして銀箔も好きだ。フジタの描く衣装や家具に、目で見てこんなにも緻密で繊細な手触りがあったのかと、今回とくに感嘆させられた。他の作品でも感じたが、勝手なイメージ以上に色彩豊かだ。
同じ作品をなんど観ても発見があるから、もう観たことあるからいいや、なんてことは絶対にないのだと気持ちを新たにする。
日本とフランスで半分ずつ(くらいかな)暮らしたような作家だけあって、ヨーロッパからも日本からもたくさん集められていて、壮観というしかない。
ちなみにユニマットグループからも2点出品されていた(まだ持っていたのかユニマット。美術館を閉めてから作品たちがどうしているのか気になっていたので、なんだか少しだけホッとした)。
たしかに 質量ともに最大級の大回顧展。看板に偽りなしだと思う。久しぶりにいいものをみて、やはりもっとちょくちょくと美術館に足を運びたい気分になった。
ちなみにこれ、なんと1年2か月ぶりの記事でありました(オソマツ)。
2017.06.11 Sunday
久しぶりに山種美術館を訪ねた。今回の企画展は、江戸時代から現代までの花を描いた作品たち。
さまざまな草花をみていると、こういうのはやはり日本画に限るなあ、と思う。もちろん好みのことである。派手でなく、素朴でデザインに昇華したような作品、そんなのが好きだ。
奥村土牛《木蓮》の深みのある美しい赤、小林古径《白華小禽》の淡くて、雑味を省いた構成。
酒井抱一や速水御舟はもちろんすばらしいし、杉山寧もとてもいい。みているうちに、ああ日本画ってすばらしいな、とじわじわと沁みてきて、とても豊かな気持ちになった。
今回、酒井鶯蒲という江戸期の絵師の《紅白蓮・白藤・夕もみぢ図》があったので、これはメモとして残しておこうと思った。
この名前を聞いたことはなかった(か、あるいは気に留めたことがなかったか)。琳派と現代をつなぐような、シンプルで端正な構成が魅力的だった。
いいものをみて、心に栄養をもらうと、生きる活力が湧いてくる。
JUGEMテーマ:アート・デザイン
2017.06.06 Tuesday
JUGEMテーマ:アート・デザイン
早々に行けなくてすっかり遅くなってしまった、会期末が迫っているミュシャ展に狙いを定めていたが、そこは人気の展覧会、しかも日曜日という悪条件、一日中すごく混雑しているとの情報が伝わってきて、今の根性なしの状態では断念するしかない。で、予定を変更してこちらの展覧会へ。
(とはいえ、行ってからもう一週間以上が経過してしまった。)
ピーテル・ブリューゲル1世《バベルの塔》、聞いていたとおり、想像するより結構小さい作品なので、拡大した映像や画像がなかったら、そのあまりに小さな人々の営みほとんどわからない。だけど、真ん中にどっしりと据えられたバベルの塔の存在感は、その小さな絵のなかでも際立っている。そして、美しい。たしかにこれは一生に一度は観ておきたい作品。
時代を経ながら天への登っていく塔はひとつの町。教会もあり、人々の暮らしがそこにはあった。解説にもあったように(たぶん)、ここで描かれているのは神に挑もうとした傲慢な人間の姿ではなく、むしろ天にも届くような強大な塔の建設に邁進する創意工夫にあふれた人間の姿に見える。人間賛歌とでもいうような。当然、正反対の見方もたくさんあるわけですが。
展覧会マスコットにもなっている《大きな魚は小さな魚を食う》の隅っこに描かれているモンスター。なんだこれは!というよりはひたすらユーモラスで愛らしい。ヒエロニムス・ボスの作品が出ているので、てっきりそうかと思うけど、これはボスに影響を受けたブリューゲル父の版画。おもしろいものです。
ボスとブリューゲルだけで満足だった。
ちなみに、大友克洋のバベルの塔を観るつもりにしていたのに、すっかり忘れて帰ってしまったことに、3日経ってから気がついた、という間抜けな管理人。もう一度行けるかなあ。
2017.04.29 Saturday
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「オルセーのナビ派展:美の預言者たちーささやきとざわめき」三菱一号館美術館
オルセー美術館のナビ派コレクションからやってきた作品たち。3つの見どころとして挙げられているなかに、「日本で初めて本格的に紹介」とあり、たしかにナビ派作品を一堂に集めたのはなかなかなかったのかもしれない。けど、個々の作品はオルセー美術館展2010など、これまでいろんなところでみてきた。10年前にオルセーを訪ねたときの記事もよかったらついでにご覧あれ(あまり関係ないけど)。
ナビ派ってどのあたりまでがそうなのか、まだよくわかってないけど、好きなタイプの作品というのはわりとはっきりしていて、時期でいうと、1890年前後数年間のもの。
とくに好きなのが、ポール・セリュジエ《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》。これはこれまで何回か観ていて、今回、今まで以上にその配色や構成の美しさに感心した。それと、モーリス・ドニ《磔刑像への奉納》。初見だったが、輪郭線できれいに色分けされた色と形のバランスに見惚れてしまい、小さな作品だけに隅々までしつこく眺めた。
ピエール・ボナールの掛け軸のような縦長の作品、たとえば《庭の女性たち》シリーズはどれも観ていて落ち着くし、フェリックス・ヴァロットン《ボール》やエドゥアール・ヴュイヤール《ベッドにて》のように、いつも何かしら発見のある作品も驚きだ。ドニの《ミューズたち》も魅力的で気に入っている。
いま挙げた作品はすべて1888年から1893年のあいだに収まるのだから、その頃の表現がとくに好きなんだろう。
目に見えるものと内面性を独特の描写をもちいて表現したナビ派の芸術を伝えるこの展覧会が、今後ますます注目されるであろうナビ派を本格的に紹介した先駆けとして、後に振り返られるものになっていればうれしいな。
2017.04.26 Wednesday
世界最大級の博物学標本コレクションを誇る大英自然史博物館からやってきた標本たち。8000万分の約370って、ほんのちょっとじゃん! とはいえ、今回来日したうちロンドンで常設展示されているのは17点だけだというから、なかなか観られない標本ばかり。垂涎ものだ。
展示は標本の数々とともに、この博物館の歴史と意義、博物館や博物学に尽力した人々の紹介など、博物学を網羅する内容で、巡るうちにその価値が自然と理解できるような展示になっている。それにしても、ほんのこれだけの展示で、英国の往時の力のすごさがわかるし、それを現在も継続する文化的な力をひしひしと感じる。経済価値というひとつの側面だけで文化を位置づけるような政治家の発言があったりする国と比べたたりしたら申し訳なさすぎる。まあ、それほどの密度を感じたわけです。芸術・文化にお金を使わない、使わせない国って悲しい。
そんなこんなは置いといて、化石、植物、虫、魚、動物、それに絶滅した動物まで、古いものから新しいものまで、地球のあらゆるところから、なんかすごそうな標本が次から次へと目まぐるしく現れて圧倒される。ビーグル号にチャレンジャー号、ダーウィンにウォレス、この博物館の歴史がそのまま博物学の歴史といえそうなくらい。始祖鳥の化石とかサーベルタイガーの骨格とかをみると、なんか興奮物質が出た。
すばらしいものをたくさん観た流れで、よせばいいのに常設展に行ってしまい、大興奮のままシアター36○、ミュージアムショップと回って、ようやく外に出たところで、時間があったら東博の茶の湯展に行くつもりだったことを思い出し、時計を見ると、閉館30分前。一応東博の入り口まで歩いたけど、閉館時間は変わらず、諦めて帰りましたとさ。
大英自然史博物館展の前売券特典のポケットガイド、入場口でちゃんともらえました。
2016.05.05 Thursday
2016.04.03 Sunday
2016.03.27 Sunday